六甲山で100年前の炭酸をシュワッ「わくわくしません?」 発祥の地で古い瓶集める男性、メーカーと復刻交渉中

炭酸飲料の瓶を集めている志方功一さん=神戸市西区美賀多台2

 大手清涼飲料メーカー「アサヒ飲料」(東京)の「ウィルキンソン タンサン」や「三ツ矢サイダー」をはじめ、多くの炭酸飲料の発祥地として知られる兵庫県。こうした商品の歴史をひもとき、明治・大正時代に使われた瓶やラベルを復刻して地元の観光資源にしようという取り組みを、神戸市職員の志方功一さん(45)が始めた。今も残る六甲山の茶屋でかつての炭酸飲料復活を目指すなど、「炭酸といえば兵庫」と広くPRしたい考えだ。(安福直剛)

 同市西区在住の志方さんは約2年前、家族で須磨浦公園付近をハイキング中、土に埋まって少しだけ出ている古いラムネ瓶を見つけた。興味を持った志方さんは、インターネットや店頭で、地元ゆかりのラムネ瓶を探すようになった。

 そして今年4月、市内のアンティークショップのサイトで炭酸飲料の瓶と出合った。明治後半から大正期に存在した「有馬鉱泉」の瓶と分かり、志方さんの好奇心にさらに火が付いた。

 調べてみると、骨董(こっとう)市やネット上では、愛好家が出品したレトロな瓶が数多く売り出されていた。三ツ矢サイダー、ウィルキンソン タンサン、タカラサイダー、ヌノビキソーダ-。地元ゆかりの炭酸飲料の瓶やラベルをたくさん買った。

 また、六甲山にはごみとして捨てられた当時の瓶が今も残っていると知った。志方さんは山道や公園の管理などをしている神戸市の担当部署に連絡し、清掃をしながら自らも瓶を拾って調査を始めた。

 自宅には今、約100本の瓶が並ぶ。「製造技術が未熟でしたから、中に気泡が入ったり形が少しゆがんだりしています。時代を感じるでしょ」。愛情たっぷりに瓶を見つめる。

 志方さんが重視するのは、これら炭酸飲料の長い歴史と、現在でも愛飲されているという事実だ。

 1868年に開港した神戸では、居留地を中心に多くの外国人が住んだ。すぐ近くに背山があるまちのため、欧米人たちは散歩がてら登山を始めた。

 「毎日登山発祥の地」として知られる神戸市の再度山(ふたたびさん)の茶屋にはかつて、登山中の外国人が立ち寄った。そこではお茶ではなく「ウィルキンソン-」などの炭酸飲料が提供されたとの文献が残っている。

 また、六甲山麓では1899(明治32)年、布引礦泉(こうせん)所が創業した。同社は1938(昭和13)年の阪神大水害で被害を受けた本社を神戸から西宮に移したが、現在も六甲山麓で採取した水で炭酸飲料を製造し愛好家も多い。

 「例えば、居留地に住んでいた外国人が飲んだ炭酸飲料を、100年以上の時を経て同じような瓶で同じ場所(六甲山の茶屋)で味わう-。そう考えると、わくわくしませんか」

 志方さんは現在、収集した瓶やラベルを手に、製造元のアサヒ飲料や布引礦泉所に連絡を取り、復刻販売を交渉中という。実現すれば、茶屋で-と期待が高まる。また、収集物は必要に応じて製造会社に持って行ったり神戸市立博物館に寄贈したりする予定という。

 市公園緑化協会で働きつつ、非営利目的で観光資源の発掘などに励む志方さんは「兵庫には炭酸飲料に関する貴重な歴史資源が多く眠っている。それらを生かし、兵庫全体で盛り上げることができれば」と話している。

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