「母は自分を責めていた」原爆に妹を奪われた母に宛てた「布手紙」

広島と長崎、2つの被爆地をテーマに女性が制作した「手紙」の作品展が、広島市で開かれています。中には原爆に家族を奪われた母親に宛てた手紙もあります。

山崎良子 さん
「原爆投下65年目のときに発表しようと作ったもので…」

75歳の 山崎良子 さんです。ハガキに布を切り貼りしてつくる手紙…。独自で編み出した「布手紙」をおよそ40年、作り続けています。

広島市で29日に始まった展示会には、戦争を体験し、8年前に病気で亡くなった母に宛てた手紙が並んでいます。

山崎良子 さん
「母は自分を責めていた。自分が助けるチャンスがあったのに、助けられなかったことを苦しんでいた」

母・富子さんは、1926年、3姉妹の次女として生まれ、小学校を卒業後、家族で広島市に越してきました。一方、当時、15歳で、県立海田高等女学校の生徒だった妹の八重子さんは、自宅の近くで被爆し、亡くなりました。

疎開していた富子さんは、自分が無傷で助かってしまったことに負い目を感じ、戦争のことをほとんど語らなかったといいます。

山崎さんは、戦後、佐賀県に生まれました。結婚後は、長崎に移り住みましたが、今は故郷に戻って暮らしています。

山崎良子 さん
「ここの布以外は使わない」

友人宛てにプレゼントとして贈ることがきっかけだった布手紙は好評で、周囲の誘いもあり、各地で展示会を開くようになりました。

山崎良子 さん
「好きな布が見つかり、表現できる。もらった人が喜んでくれる。それが一生楽しい。死ぬまでできることだから」

会場にある布手紙の多くは、原爆を題材にした作品です。しかし、妹を原爆に奪われた母の富子さんからは「つらい記憶を思い出すから出展しないでほしい」と、止められていたそうです。

山崎良子 さん
「心配しないでいい。処分するからと言ったら、母が『いつか役に立つときがくるから取っておいて』と言った。わたしは、原爆・戦争も知らないからこういうふうに布手紙にできる」

富子さんが語ることができなかった過去のできごとを、多くの人に知ってもらいたい―。山崎さんが、広島の人たちに伝えたかったことです。

山崎良子 さん
「原爆で被害にあった家族は、いろいろな意味で苦しんだ。戦争になるかもしれない時代に(争いが)あったらいけないと伝えたい」

企画展は、7月2日の日曜日まで開かれています。これとあわせ、原爆で家を失った市民に家などを建てた、アメリカ人の平和活動家フロイド・シュモー氏を紹介した絵本の原画展が開かれています。入場料は、無料です。

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