滝廉太郎居住地に案内板、没後120年で研究会設置 富山と名曲の縁に誇り

中村理事長(左)と奥原理事長が案内板の幕を取った=アームストロング青葉幼稚園

 少年時代を富山市で過ごした音楽家、滝廉太郎(1879~1903年)の生涯を研究し顕彰する「滝廉太郎研究会」は、没後120年を記念し、滝が住んでいたとされる敷地に立つアームストロング青葉幼稚園(同市丸の内)に、居住地跡を示す案内板を設けた。滝の命日に当たる29日、現地でお披露目した。

 研究会によると、滝は7歳の時、父が富山県書記官(現・副知事職)として来任したことに伴い、現在の富山市丸の内にあった官舎に住み、約2年間過ごした。代表作「荒城の月」は、富山城をモチーフにしたとされている。

 案内板は大きさ縦約1.2メートル、横約1.5メートル。同市本丸の滝廉太郎記念館内にある滝のブロンズ像の写真や周辺の地図を交えながら、生い立ちや富山との関係について解説している。

 29日は地域住民らが見守る中、市内を拠点に活動する女声合唱団「さくらコーラス」のメンバー15人が滝作曲の「花」と「荒城の月」を披露し、案内板の完成を祝った。研究会の中村孝一理事長とアームストロング青葉幼稚園の奥原望理事長が除幕した。

 中村理事長は「富山で滝が過ごした日々が数々の名曲につながっていったことを県民に知ってもらい、誇りに感じてほしい」と話した。

滝の名曲を披露するさくらコーラスのメンバー

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