クボタショック18年、今なお続く被害に募る悔しさ 3月に中皮腫発症の男性「ただ住んでいただけで…」

尼崎労働者安全衛生センターの飯田浩事務局長(奥)と話す男性=尼崎市長洲中通1

 兵庫県尼崎市にあった機械メーカー「クボタ」の旧神崎工場や周辺でアスベスト(石綿)の健康被害が明らかになった「クボタショック」から29日で18年となった。長い潜伏期間を経て発症する中皮腫などの被害は、今なお続く。旧工場から200メートルほどで育った男性(76)=同県宝塚市=は今年3月、アスベストが原因のがん・悪性胸膜中皮腫と診断された。「ただ住んでいただけでこんなことになるなんて」。言葉に悔しさがにじむ。(中川 恵)

 男性は小学1年の頃から約15年間、旧工場近くの長屋で暮らした。5人きょうだいの4番目。旧工場で毒性の強い青石綿を使っていた時期と重なるが「(違和感を)感じたことは全然なかった」と話す。

 20代でミュージシャンになるため上京。サックスを手にダンスホールで演奏し、演歌歌手の巡業に同行した。尼崎へ戻ってからも演奏を続けたが、阪神・淡路大震災で演奏場所がなくなり、タクシー運転手に転職した。

 2005年のクボタショックから1年ほどしたある日、40代のおいが肺の病気で亡くなった。男性と同じ長屋に住んでいた。ふと「息ができひん」と言っていたのを思い出し、仕事の合間に尼崎労働者安全衛生センター(尼崎市長洲中通1)を訪れた。この時は、自分にも降りかかるとは夢にも思わなかった。

 今年1月、男性は背中の痛みを訴えて病院へ行った。肺に水がたまっていることが分かり、生体検査の結果、中皮腫と分かった。息苦しさから仕事は退職を余儀なくされた。現在、石綿健康被害救済法に基づく認定を申請し、クボタに救済金を求めるための準備を進めている。

 朝起きて、気持ちよく深呼吸ができない。少し歩くだけで息苦しくなる。妻と買い物に出かけても、荷物を持ってやることもできず、車で待つ。病院では片肺が機能していないと言われた。サックス奏者として肺の強さには自信を持っていただけに、吹けない悔しさや情けなさが募る。

 「ここら辺に住んでいたのがあかんのなら、しょうがない。諦めるしかない」とこぼす。ただ、やはり思う。「住んでいただけで病気になるなんて納得がいかない。元通りにしてほしい」 ### ■医師や患者語る 2日、尼崎で集会

 アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会が7月2日午後1時、尼崎市昭和通2の市中小企業センターで開かれる。石綿疾患の患者や家族が語るほか、岡山労災病院腫瘍内科の藤本伸一医師が「中皮腫とがん免疫チェックポイント阻害剤」と題して話す。無料。定員150人。尼崎労働者安全衛生センターの飯田浩さんTEL090.8202.3851

© 株式会社神戸新聞社