「おしん」のように働いた…消えてなお、愛する故郷は「和牛の聖地」 兵庫の景観遺産・熱田集落

但馬牛のルーツをたどるツアーで案内役を務める吉田真佐子さん=2023年5月、香美町小代区新屋

 標高約700メートルの山深い豪雪地にあり、「和牛の聖地」と呼ばれる兵庫県香美町小代区の廃村・熱田集落。但馬牛のルーツをたどるツアーには全国各地の畜産・飲食業者が訪れ、今年3月には地域特有の歴史的な景観を対象にした県の「景観遺産」にも登録されるなど、近年注目されている。「陸の孤島」とも呼ばれた当時の生活を熱田出身の女性2人に聞いた。1人目は、熱田の語り部として活動する吉田真佐子さん(70)=香美町小代区。(聞き手・長谷部崇)

玄関横にまや、どの家も牛を大事に

 家の中は、玄関を入ってすぐ横に、まや(牛小屋)がありました。どの家も牛は大事にしていましたね。家にはストーブ代わりのいろりがあって、大きな羽釜に大根とか白菜とか干した菜を入れて煮たのを牛に食べさせてました。産後の牛にはそれがええと言ってね。春には土起こしとか、代(しろ)かきとかの畑仕事をしてもらっていました。

 冬、元気な男は酒や高野豆腐を造りに出稼ぎに出て、うちの父親は八鹿や淡路の酒蔵に行ったり、三重県や和歌山県の方にも行ったりしておりましたね。女は冬の間もずっと家にいて、屋根の雪はかかんなんし、牛は飼わんなんし、(雪深くて)病院なんてもちろん行けれんし、大変でした。だから富山の薬屋さんが薬を売りに雪の中を登って来よりましたね。薬を背負う人を下(麓の集落)の方で頼んでね。うちはおばあちゃんが世話好きで、その人らを泊める宿をしておりました。

 春先の最初の仕事は「ヤナギの手伝い」でした。豊岡の(伝統産業である)柳行李(やなぎごうり)の原料をつくって出荷するんです。秋に切り取ったヤナギを田んぼに挿して、春になったら白い芯になるように一本一本皮をはぐ。学校から帰ってからと休みの日はずっとそれでしたね。ヤナギはごっつい背が高くて、道が狭いでしょ。トラックもないし、背負って下りるのはカニさん歩き(横歩き)でした。

 ヤナギが済んだら田植え。田植えが落ち着いたらワサビ採り。「かいこさん」もしていました。養蚕ですね。蚕が食べる桑の葉っぱをとってきて、部屋は蚕を飼う棚でいっぱいで、自分が寝るところがないくらいでした。

 ずっとそんな感じで、子どものころは遊んだ思い出よりも働いた思い出ばかりです。「おしん」ですわ。10キロ離れた小代中学校から帰ってきたらもう真っ暗だし、ご飯食べて寝るだけ。朝は6時に家を出てね。冬場だけは、中学2年の時にできた寄宿舎に入りました。

雪崩事故、通報までに数時間

 雪崩の事故があったのは私が中学3年の時。朝は快晴で、役場から「(集落入り口の)熱田出合まで除雪するので、買い物に出ませんか」と、集落に連絡があったみたいです。うちの母親も一緒に買い物に出とったんです。

 昼休み、傘があっという間に重たくなるくらいの雪が降って。夜、寄宿舎でお風呂に入っていたら、放送で「熱田の人が雪崩に遭って、消防がこれから上がります」って。雪崩があったところから、集落で唯一電話があった小南小学校熱田分校まで距離があるので、通報するまでに何時間もかかったんですよ。

 その事故をきっかけに、町長さんも「冬にここに住まんなん意味があるか」って。その後、役場にも学校にも近いところに越冬住宅が建って集団移住することになった。ただ、当時、一番長老だった男性は「(集団移住は)私が死んでからにしてくれ」って懇願したそうです。

「但馬牛の歴史を学ぶ機会に」 熱田集落ツアー企画の上田畜産代表

 但馬牛のルーツをたどる熱田集落のツアーは、地元の上田畜産(香美町小代区神水)などが企画した。「まや」と呼ばれる牛小屋が併設された吉田真佐子さんの生家などを見学する。

 吉田さんの父・田淵徳左衛門さん(故人)は、越冬住宅へ集団移住した後も熱田へ通い、但馬牛を育てた。15年ほど前、徳左衛門さんが引退する時に最後の牛を買い取ったのが上田畜産の上田伸也代表取締役(52)。同業者との「但馬牛ってどこからうまれたん」という会話をきっかけに「熱田のことを関係者に知ってもらう機会があれば」とツアーを企画したという。

 「熱田を訪れることで、但馬牛の歴史を学び、それぞれのお客さんにも伝えることができる。畜産振興にもつながる」と上田さん。5月22日にあった3回目のツアーでは、全国各地の畜産農家ら45人が参加した。岩手県出身で、神戸市の畜産農家で修業中という小形康太郎さん(26)は「岩手の前沢牛も但馬牛の系統で、ぜひ訪れてみたかった。手つかずの自然が残り、舗装されていない道で牛を引いて歩く昔の人たちの姿を想像した」と話した。(長谷部崇)

【熱田集落】熱田で飼われていた但馬牛は明治期に進められた外国種との交配を免れ、雌牛「あつ」を基礎とする血統は「あつた蔓(つる)」と名付けられた。現代の黒毛和種の99.9%が祖先とする種雄牛「田尻号」も「あつた蔓」の系譜。かつては9軒の民家が山あいに点在していたが、現在母屋が形をとどめる民家は2軒のみ。このほか、旧小南(しょうなん)小学校熱田分校、熱田神社跡、観音堂跡、棚田跡、牛の受精場などが残る。1968年2月、買い物から徒歩で帰る途中だった主婦5人が山道で雪崩に巻き込まれ、うち1人が亡くなった。この事故を受けて当時の住民9世帯約50人は翌69年12月、旧美方町の中心部近くに建てられた「越冬住宅」へ集団移住した。

© 株式会社神戸新聞社