長崎・男児誘拐殺害事件から20年 罪犯した少年の立ち直り支援 多機関連携で続く模索

児童相談所の機能を担う「県長崎こども・女性・障害者支援センター」。犯罪行為をした少年の立ち直りに向け、関係者は模索を続けている=長崎市橋口町

 2003年に長崎県長崎市で起きた男児誘拐殺害事件。中学1年の男子生徒=当時(12)=が起こした凶行は社会を震撼(しんかん)させたが、長崎家裁の少年審判では、発達障害や成育環境が事件の背景にあったと指摘された。事件から1日で20年。生きづらさを抱え、犯罪行為をした少年の立ち直りに向け、多機関連携による生活環境の調整など関係者は模索を続けている。
 今年2月、日本弁護士連合会などが長崎市内で開いた全国集会。少年事件の付添人を務めた経験がある弁護士らが分科会で、児童相談所(児相)などとの連携について意見を交わした。そこで一つの県内事例が取り上げられた。厚生労働省が21年に出した通知で児相と地域生活定着支援センターとの連携の「好事例」と紹介されたものだ。
 当時10代後半だったアツキ(仮名)はこだわりが強く、対人関係が苦手。家庭は両親がほぼ不在の状態だった。暴力行為を起こし、児相が一時保護したが行為がエスカレート。少年審判で児童自立支援施設送致となった。
 保護の過程で医師の診断を受け、アツキに発達障害などがあることが判明。同施設入所中、児相は自宅以外の帰り先を調整するため複数の施設に受け入れを打診したが、いずれも「難しい」との回答で入所が数年にわたるほど長期化した。
 困り果て、16年ごろに相談したのが、県地域生活定着支援センター。高齢や障害のある刑務所出所者らを福祉サービスにつなぐ役割を果たす。09年の本県を皮切りに全国で設置された。
 同センターは本人の意向を確認しながら、ネットワークやノウハウを活用し、県内の障害福祉サービス事業所への入所を調整。体験利用を経て、アツキは新たな環境での生活をスタートさせた。就労支援も含め同事業所や同センターのスタッフが継続的に支援した。
 「複数の障害特性に、攻撃性の高さなどが複雑に絡み合うと対応が難しくなり、児相の力だけでは限界がある」。県長崎こども・女性・障害者支援センターの前所長、柿田多佳子(64)はこう指摘する。アツキの連携事例を「互いに分担し合うことでトータルでプラスの支援ができたと言える」と評価する。
 本県での連携ケースは15~19年度の計6件。対象となる少年事件の取扱件数自体が少ないことが大きいが、県長崎こども・女性・障害者支援センターは「義務教育終了後の少年を受け入れる社会資源は比較的限られ、定着の存在は心強い」とする。
 12歳の少年が4歳の男児を誘拐し、殺害した長崎市の事件は、社会福祉職として子どもの支援に長年携わる柿田にとっても衝撃だった。事件直後には、個人的に被害男児が通っていた幼稚園の先生や保護者の心のケアに当たった。
 事件から2年後の05年に発達障害者支援法が施行。この20年で発達障害への社会の理解は進み、支援体制が整備された。柿田も「周囲が本人の生きづらさに気付き、特性に応じた支援につなげる環境は整ってきた」と感じる。一方、障害が犯罪行為の原因に直接なるわけではなく、生活環境などが複雑に絡み、本人の問題だけでは解決できない部分が大きい。
 「犯した行為は許されないが、生きづらさを抱えた人が再び事件を起こすことがないよう、支えが必要。社会がその人をどう受け止めるか、だと思います」
 柿田は社会に問いかける。=文中敬称略=

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