【土石流発災から2年】遺族・被災者それぞれの思い 静岡・熱海市

28人が亡くなった熱海市の土石流災害から7月3日で2年となりました。

被災地では3日、土石流が起きた時刻に合わせて犠牲者に黙とうが捧げられ、追悼式が執り行われました。

10時28分。被災地に響き渡るサイレンに合わせ、遺族や被災者らが手を合わせ黙とうを捧げました。2021年7月3日に起きた熱海市の土石流災害では、災害関連死を含めて28人が亡くなりました。7月3日、伊豆山小学校では被災者や遺族のほか、熱海市の斉藤市長などが出席して追悼式が行われました。

(熱海市 斉藤市長)

「復旧復興への歩みを着実に進めていくとともに、今後とも被災された皆さまと対話を重ね、皆さまが抱える様々な不安の解消に努めていく」

1年7か月にわたり、行方不明となっていた太田和子さんの長男は、今年初めて追悼式に参加しました。

(母を亡くした 太田朋晃さん)

「去年はまだ母も見つかっていなかった、被災者という立場でしかなかった」「現状がこんなで、安らかに眠ってくださいと言われても眠れない」「我々のいた場所を安心して住めるよう、復旧、復興してもらいたい」

そして、土石流が起きた午前10時半ごろに合わせて、各地で黙とうが捧げられました。

(家が被災した 太田かおりさん)

「2年経ったが亡くなられた人たちに『伊豆山はもう大丈夫だよ』と報告ができないのが悲しい」「でも前に進んでいこうと、そんな気持ちで手を合わせた」

警戒区域は9月に解除される予定になっていますが、2023年に入り熱海市の復興計画の一部が変更になるなど、復興の遅れが目立っています。被災から2年、自宅などを失った被災者の生活再建の見通しは立っていません。

土石流で被災した中島秀人さん54歳。

伊豆山で80年以上の歴史を持つ「コマツ屋製麺」の4代目です。2年前の7月3日、中島さんの自宅兼製麺所だった建物には大量の土砂が流れ込み、立ち入ることができなくなりました。それでも被災から1年後、中島さんは復興に向け、再スタートを切りました。伊豆山から離れた熱海市内の別の場所に新しい工場を建設し、麺づくりを再開させたのです。

(コマツ屋製麺 中島秀人さん)

「これを作るのに1年かかった、うれしい」

さらに、中島さんは、1日でも早い復興を願い、「熱海復興麺」を開発するなど、この2年間、歩みを進めてきました。

6月27日、中島さんの製麺所を訪ねました。新しい工場で麺を作り始めて1年。徐々に被災する前の生活リズムを取り戻しつつあるといいます。

(コマツ屋製麺 中島秀人さん)

「はじめの頃よりはだいぶ慣れた」「新しくコマツ屋さんの麺で挑戦してみたいと言ってくれるお店も出てきているので、すごく助かる」

新しい製麺所になってから挑戦していることも。これまでは主にラーメン店に出荷していましたが、新たに一般客向けの販売を始めました。

(コマツ屋製麺 中島秀人さん)

「初めは認知されていなかったので、売れなかった、最近は地域の人にも認知してもらって、よく買いに来てもらっている」

それでも、ふるさとを訪れ、被災した自宅を見つめると、2年という月日の長さを感じるといいます。

(コマツ屋製麺 中島秀人さん)

「2年たってもまだ外から家を眺めないといけない、2年前どんなふうに楽しくやっていたか、ふと思った、2年はものすごく長かった」

中島さんには、「伊豆山で再び生活したい」という強い思いがあります。

(コマツ屋製麺 中島秀人さん)

「住民の答えは1つ、『この町に戻ってきたい』、『今までの通り平和な暮らしがしたい』、被災者の住民が今までよりいい町になって住みやすくなる、そういう町になることを期待している」

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