「車いすの被爆者」の故・渡辺千恵子さん没後30年 遺品調査する木永さん「訴えの原点知って」 長崎市内で展示 

故渡辺さんの資料展示の準備を進める木永さん=長崎市、県立長崎図書館郷土資料センター

 「被爆者運動の原点を考えるきっかけに」-。長崎原爆で下半身不随になりながらも、車いすで核兵器廃絶を訴えた故渡辺千恵子さんが1993年に64歳で亡くなって今年で30年。長崎総合科学大長崎平和文化研究所の木永勝也客員研究員(66)=長崎県長崎市=は、渡辺さんの自宅に残されていた直筆原稿など数千点の資料の調査・分類を進めている。
 渡辺さんは16歳の時、爆心地から2.5キロの動員先の工場で被爆。脊椎を骨折し、自宅で寝たきり生活を送っていたが、被爆した女性らと「長崎原爆乙女の会」を結成。国内外で被爆の実相を訴えた。
 木永さんは熊本県出身。大学時代、原水爆禁止運動に参加し、遠目に壇上で語る渡辺さんを見たことがあった。94年、同大に着任。その時、すでに渡辺さんは亡くなっており、直接会うことはなかった。
 残された資料などは親族らの元を経て、木永さんが所属していた同研究所で2016年、引き受けた。初期の被爆者運動に関する記録から、使っていた日用雑貨など多岐にわたり、木永さんは資料を見て、調査する楽しさがあった。一方、膨大な資料を前に、途方に暮れたこともあった。
 それでも続けられたのは、渡辺さんの人生そのものに魅力を感じたから。ひっそりと生きる被爆者らと励まし合い、多くの人たちとの交流を通して活動を広げた経験をはじめ、原爆や核兵器に対する怨念のような強い思いに触れ、もっと知りたいと思った。今年3月、大学を退職した後も調査を続け、教材に使えるようデジタル化も現在、進めている。
 渡辺さんの歩みを振り返る展示が4日から、県立長崎図書館郷土資料センター(同市立山1丁目)で始まる。1955年発行の「長崎原爆乙女の会」の会報創刊号や数々の写真、直筆原稿など約100点を厳選。協力した木永さんは「被爆者の訴えの原点を知って、核兵器の被害がどういうものなのかもう一度考えてほしい」と話している。
 展示は入場無料。8月20日まで。古い資料が多いため、状況によっては展示内容を入れ替える可能性もある。

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