「心が折れかけてきた…」豪雨で被災したミカン山 大掛かりな工事への期待と苦悩 農家の現実は

西日本豪雨から7月7日で5年を迎えます。愛媛県内では、土砂崩れに川の氾濫と、各地で甚大な被害を受けました。それは愛媛が誇るミカン畑も例外ではありませんでした。産地の再生を目指す農家の期待と苦悩を見つめます。

全国有数のミカンの産地、愛媛県宇和島市吉田町・玉津地区。5年前の西日本豪雨で土砂崩れが相次ぎ、ミカン園地全体の約4分の1が被災。農家たちは大きな打撃を受けました。

ミカン農家の河野雄哉さん(38)です。河野さんの園地も、約5分の1が被害を受けました。

豪雨から1年後、河野さんの園地ではスプリンクラーが倒れたままで、改修もできていない状況でした。

急傾斜の山が多い玉津地区。愛媛県が提案したのが、再編復旧という大掛かりな工事です。園地を災害前と同じ状態に戻すのではなく、山全体をいったん切り崩し、斜面を緩やかに作り変える方法です。農作業がしやすく、災害に強い園地に生まれ変わることが期待されています。

工事の対象は、約50軒の農家が所有する園地など6.8ヘクタール。総事業費は約5億円で、国や県などが負担し、農家の負担はありません。県は2025年度の完成を目指しています。

河野さんは、再編復旧を進める地元農家の代表を務めています。

河野さん
「スムーズに、そして工事中に新たな災害が起こらないのが一番」

■ミカン畑を次の世代へ―

河野さんには、3人の子どもがいます。去年3月、宇和ゴールドの収穫をする河野さんの園地には、お手伝いする子どもたちの姿がありました。

“子どもたちにミカン園地を残していきたい-”

河野さんが再編復旧に賛同するのは、その思いからです。

記者
「大きくなったら何になりたい?」
長男
「ミカン農家」
河野さん
「将来、父ちゃん手伝うよと言ったときに仕事のしやすい環境ができたらなと」

去年6月。河野さんは、再編復旧が予定されている畑でミカンの木を伐採していました。伐採の作業は、農家が自ら行わなければなりません。

河野さん
「ここまで4年かかって、すごく長かったなというのが本音ですね。伐採は原形復旧とかは全部業者がやる。再編復旧はお金がいらなく大きい工事ができる分、割とそういうところの負担が実際はあって、そこは見えていなかった」

そして、河野さんの園地でも去年9月から工事が始まりました。

河野さん
「ようやく動き出したなと。期待しかないけれども、目に見えて進む量は少しずつなので、早く工事が終わってほしい気持ちが強い」

一方、この山の反対側では工事が一向に始まっておらず、5年経った今も葛藤している農家もいます。

■「心が折れかけてきた…」5年経った今も工事は始まらず

ミカン農家の西村保人さん。西日本豪雨で園地の約3分の1が被害を受けました。

西村さん
「何一つ変わっていないというか…」

2020年、西村さん再編復旧の説明会に参加しました。

会議後の西村さん(2020年)
「一応は納得はしました。作業しやすくなる角度にしてもらえるらしいので、それを一番期待している」

しかし、豪雨から5年。西村さんの園地では工事が一向に始まりません。二次災害の危険性が高い場所の工事が優先されているほか、近くで砂防ダム建設工事が行われている影響もあり、西村さんの園地は玉津地区の再編復旧の中で着工が後回しになっているのです。再編復旧が予定されている園地は、完成するまで苗木を植えることもできず、5年経っても収入が減ったままです。

西村さん
「命さえあれば何でもできる感じで頑張ろうといたけれど、だんだん心が折れかけ始めてきたかな。畑がきれいになったらそう思うけれど、この現状なもので…」

西村さんの畑の年間の収穫量と収入の一覧を見せてもらいました。西日本豪雨前の2017年度と豪雨後の2018年度を比較すると、かんきつの収穫量は約10トン少なく、収入も約200万円減っていて、西村さんは「ほぼ赤字」と話します。

西村さんの園地の再編復旧工事が終わり、ミカンを植えられるようになるのは4年後の2027年の見込みです。十分な木に育ち、安定した収入が得られるまでにはさらに4~5年はかかります。

西村さん
「急な山で大丈夫なんですよ、僕らは。災害に強い園地とか計画にあるけど、僕は全くそういうの必要ないので、1日でも早く園地を治してもらって苗木を植えたい。それだけ」

■地元を思うからこそ-

地元農家の代表を務める河野雄哉さんも、農家の人たちの思いに心を痛めています。

河野さん
「メリットの多い人とデメリットの多い人、それがそれぞれ違うなと。まとまって工事をするのは難しいんだなと思いました」

農家によっては、再編復旧を希望した畑が対象とならなかったケースがあるほか、計画から外された畑もあると言います。西村さんの畑は、県が当初示した案より、工事の範囲が半分以下に縮小しました。

西村さん
「山の上から崩れているんですけれども、真ん中ぐらいから下しか工事しないということで、それならば自分で直せたのに…。でも、自分がごねてもいけないと思って」

それでも皆が再編復旧を進めるのは、地元・玉津を思うからこそです。

西日本豪雨から5年。復旧の道半ばにいる玉津地区。複雑な事情を抱えながら、かんきつの産地は姿を変えようとしています。

ミカン農家・河野さん
「どう転んでもうまくいってほしいという気持ちで進んでいるので、子どもたちが大人になったときにいい産地として残せるようにしたい」

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