Jリーグが開幕してから30周年—。これまで多くのワールドクラスがJリーグでプレーしてきた。
ジーコ、ピクシー、フォルラン、ポドルスキー、イニエスタと錚々たる顔ぶれが並ぶ。
一方でワールドクラスの実績があるにも関わらず、全く活躍しないでJリーグを去ったビッグネームもいる。
今回は日本でつめ跡を残せなかったビッグネーム5人を紹介する。
アーセナルのレジェンドだったが…
フレドリック・リュングベリ
加入したJクラブ:清水エスパルス
国籍:スウェーデン
黄金時代のアーセナルで9シーズンに渡り活躍したスウェーデン史上屈指の好アタッカーは、緩急自在のドリブルと縦に切り裂くように推進するドリブルで一時代を築いた。
スウェーデン代表では75試合14得点とアタッカーとしても、チャンスメイカーとしても北欧の強豪をけん引した。
2011年8月に清水エスパルスへ入団するも、リーグ戦8試合ゼロ得点と往年の活躍を見せることなく、翌年2月に契約解除した。元日本代表MF小野伸二との息の合ったプレーもあっただけに、惜しまれる退団となった。
カメルーンの背番号10は1試合も出場せず…
アシル・エマナ
加入したJクラブ:徳島ヴォルティス
国籍:カメルーン
強じんなフィジカルを生かしたキープ力と技術の高さでトゥールーズの攻撃をけん引し、ベティスでも加入した2008-09シーズンはスペイン1部で35試合11得点と降格したチームで一人気を吐いた。
カメルーン代表でも背番号10を背負い、2010年ワールドカップ南アフリカ大会では元日本代表MF長谷部誠と激しいマッチアップを見せた。
2016年7月に徳島ヴォルティスへ加入して大きな話題となったが、公式戦に1試合も出場せずに退団してしまった。
無断帰国のイケメンはフィギュアスケーターに
イルハン・マンスズ
加入したJクラブ:ヴィッセル神戸
国籍:トルコ
ドイツ・バイエルン州出身のイルハンは、ドイツでのキャリア形成に失敗するも、トルコで下部リーグから地道に努力して頭角を現していった。
2001-02シーズンはトルコリーグ1部で21ゴールを奪って得点王に輝き、2002年ワールドカップ日韓大会メンバーに選出された。この大会では控え選手ながら、セネガル戦でゴールデンゴールを決めるなど、同国史上最高成績の3位進出に大きく貢献した。
端正なマスクから日本人女性から高い支持を得ていたイルハンは、2004年にヴィッセル神戸に加入した。だが痛めたヒザの影響で3試合出場のみに留まり、同年6月に無断帰国。そのまま退団となった。
引退後にはフィギュアスケート選手に転身し、国内外で大きな話題となった。
ドイツMVP&得点王は1得点のみに…
ウーべ・ラーン
加入したJクラブ:浦和レッズ
国籍:ドイツ
ボルシアMGでプロキャリアを開始したラーンは、ユップ・ハインケスの指導により決定力に優れた攻撃的MFとしてチームで存在感を見せた。
1986年にドイツ年間最優秀選手賞を受賞し、1986-87シーズンには24得点でブンデスリーガ得点王にも輝いた。
1993年に浦和レッズへ加入するも、リーグ戦7試合1得点と期待された活躍ができなかった。翌年ギド・ブッフバルトやウーベ・バインの加入に押し出されるようにチームを退団した。
ブラジルの伝説はJリーグと水が合わず…
ベベット
加入したJクラブ:鹿島アントラーズ
国籍:ブラジル
ブラジルの伝説的な英雄ベベットは、卓越した技術と非常に優れた決定力、幅広い視野を生かしたプレーで多くの得点を量産した。
ブラジル代表ではロマーリオと好連係を見せて、ワールドカップ1994年大会優勝に貢献。通算75試合39得点と圧倒的な成績を残した。
デポルティーボではデビューシーズンに37試合29得点と圧巻の数字を残し、1995-96シーズンも34試合25得点とア・コルーニャの英雄としていまも語り継がれている。
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2000年にジーコの誘いを受けて鹿島アントラーズに加入するも、8試合1得点とチームとプレーが全く合わなかった。