三井物産株式会社代表取締役会長 安永竜夫さん

「アジア・グローバルヘルス・サミット」 特別インタビュー

三井物産株式会社代表取締役会長 安永竜夫さん

1960年、愛媛県生まれ。83年、東京大学工学部卒業後、三井物産に入社。プロジェクト業務部長、経営企画部長、執行役員機械・輸送システム本部長を経て、2015年に代表取締役社長、21年に代表取締役会長に就任。

香港特区政府と香港貿易発展局(HKTDC)共催による「第3回アジア・グローバルヘルス・サミット(ASGH)」と第14回「香港国際メディカル&ヘルスケア・フェア」が5月に開催された。世界のヘルスケア業界のリーダーが一堂に会した両イベントには合わせて50カ国余りから1万3000人以上が来場。ASGHで開催されたプレナリーセッション「ヘルスケアの未来を再定義する」では、 三井物産の安永竜夫代表取締役会長、香港科学院院長の盧煜明(デニス・ロー)教授、GSK(グラクソスミスクライン)のSir Jonathan Symonds Chairらがグローバルな共通課題などを討議した。三井物産の安永代表取締役会長に同社が取り組む医療ビジネスなどについて伺った。(聞き手・編集部 楢橋里彩)

――デジタル関連技術を活用した新たな医療ビジネス に取り組んでいるが、どのようなものなのか。

データを活用したグローバルな事業創出にチャレンジしたいと考えている。AIやデータを活用した見える化や効率化の取組はウェルネス領域にとって重要であり、世界中で展開する実業を通じて様々なUse caseを考え、世界各国多様なインダストリーのベストプラクティスを比較検証し、他地域・他分野へ導入検討していくことは総合商社たる当社ならではの強みだと考えている。

具体的には、クリニック、病院、保険、各種予防ビジネスを横断的に展開し、官民連携および民間のローカルパートナーと共に医療サービスの充実化を目指す。

ペイシェントジャーニーにおける予防、治療、予後の幅広いステージでデータを整備・蓄積することで、個別化医療等の実現のため医療従事者間でデータ共有することも可能となる。(ペーシェントジャーニーとは、患者が疾患や症状を認識してから、最終的に病院での受診や服薬などの治療に至るまでの行動、思考、感情などの過程を指す)

同時に、個人情報の取り扱いにも十分に配慮し、秘密分散等の技術も活用しながら慎重に検討する必要があるが、各国の法令に則り、行政、パートナーと連携しながら更なる価値創出に貢献したい。例えば、医療機関向けのソリューション開発や、製薬会社の研究開発を効率化・迅速化するサービスなど、医療現場ならではのデータに裏付けられたイノベーションを創出する環境づくりに貢献したい。

ASGHで三井物産取組を説明する安永会長

――アジア最大手の民間病院グループIHH Healthcare Berhad(IHH)や、オンライン診療など、デジタルの力を活用し新たに取り組んでいるが、この活動の背景にある各国の環境、社会問題などについてどう考えているか。

財源、人的医療資源が有限の中、いかに持続可能な医療体制を構築するかは、日本を含むアジア各国で共通した課題である。日本で言えば、デジタル技術を活用した医療機関の経営状況の「見える化」は、医療政策の証拠に基づく政策立案の推進に加えて、医療従事者の適正な処遇を通じた人的資源の最適配分の観点からも不可欠である。

また、医療機関の効率的な経営の観点では、競争原理・市場原理に基づく経営の大規模化、連携・協働の促進が必要である。これにより、医療データ活用のプロ人材の育成や確保、組織内の柔軟な人材配置も可能となる。IHHへの参画を通じて斯様な経営ノウハウを蓄積している。

持続可能な医療体制の構築には、バリューベース・ヘルスケア(VBHC)の実現が鍵となる。VBHCの概念は「治療アウトカム÷コストの最大化」と表現できる。

当社は治療アウトカムの向上も、コスト低減もどちらも重要と考えている。医療従事者のタスク最適化やオンライン診療導入などを通じて生産性を最大化する仕組みの導入によりコストを低減することに加え、創薬や革新的な技術の導入、更には予防を通じた重症化リスクの低減など、たとえ一定程度コストが増加したとしても、より高い治療効果が得られる施策を両輪で進めることが重要である。

IHHグループ傘下の港怡医院

――アジア最大級の病院グループだからこそ得られるビッグデータと、最新のIoT技術と膨大に集積されるヘルスケア関連のビ ッグデータを組み合わせることで、どのようなサービスが可能か。

病院内で得られる医療データは他の汎用的なヘルスケアデータ事業者との差別化要因となりうる。その上で、未病、診断、治療、術後、在宅ケア等、ペイシェントジャーニーの各ポイントで得られる患者データのプラットフォームを構築することで、医療と予防を効果的に繋ぐことが可能となる。

例えば、未病段階の健康情報から、定期的な診断結果、治療・服薬履歴、術後の服薬やリハビリまで、より長期的なスパンで患者の情報を捉えることで、医療従事者間の連携を促進し、より患者個人に最適な予防・治療プランの策定・実行が可能となる。加えて、各国の法令と個人情報保護の為の技術的な課題を克服できることを前提に、それらデータに基づく製薬会社の創薬研究支援などのサービスも検討していきたい。

怡禾健康のオフラインクリニック

――粤港澳大湾区(GBA)の医療・健康産業分野ではどのような魅力を感じているか。

人口、域内総生産(GDP)、医療費規模と増加予測等のマクロ環境の観点から、GBAの医療ニーズと市場性は顕著である。加えて、当社はIHHをはじめ中国本土でも事業を展開しており、商習慣や競争環境から簡単なマーケットではなく、規模もまだ限定的だが、相応の経験を積み重ねている。その観点でも、GBAは香港の医療人材、技術、ビジネス基盤、パートナーネットワークの活用と、急成長する本土側の成長を取り込むゲートウェイと位置付けている。

医師等医療人材はもちろん、医療機関の経営人材も日本や中国でも限られたリソースであり、香港は優秀人材育成・獲得の観点でも重要な戦略拠点である。よってGBAは将来的に当社のウェルネス・エコシステムを中国本土やアジア全域に広げる上でのテストマーケットと位置付けている。

香港初オンライン専業保険会社の保泰人寿

――今後、香港と中国本土のヘルスケア市場でどのようなビジネスを検討していくのか。

当社は香港と中国本土においても、VBHCの実現に向けて戦略的な投資を通じて、ポートフォリオ間のシナジーと個社成長を促したい。既存の取り組みとしては、当社が筆頭株主であるIHHグループ傘下の港怡医院(グレンイーグルス香港病院=GHK)とオンライン医療保険事業者、保泰人寿保険(ボウタイ・ライフ・インシュランス)との間でVBHCに資する香港初の取り組みを行っている。

両社で共同開発した保険商品を購入した被保険者は、特定の治療内容の費用に上限が設定されており、費用透明性高く、かつ良質な医療サービスを享受することができる。また同商品にはGHKでの無償の健診サービスも付帯されており、予防の観点でもVBHCのコンセプトを織り込んでいる。

ほかにも、本年4月に出資参画した深圳のクリニックチェーン怡禾健康(イーハーヘルス)を通じて小児科や婦人科に特化したクリニックサービスを展開している。同社はオンラインとオフラインクリニックを両方自社で運営しており、オンライン・トゥー・オフライン(O2O)を通じて、適時適切な初期的診断・治療の場として重要性が増しているクリニック事業の変革を目指している。

加えて、当社出資先である抗がん剤を中心とした医薬製造販売事業者の深圳万楽社を通じた中国全土への高品質な医薬品の提供や、昨年出資参画したシンガポールの漢方製造販売会社、余仁生(ユーヤンサン)を通じた香港での漢方・サプリメントの販売を展開している。今後も予防と医療を繋ぐペイシェントジャーニーを幅広くカバーするための戦略的な投資とポートフォリオ間のシナジー実現を推進したい。

【インタビュア・楢橋 里彩】 NHKキャスター 、ディレクターを経て、中国大連電視台のアナウンサーに。その後、香港に移住。現在は、「香港ポスト」で、企業トップやビジネスリーダーのインタビューなど担当。

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