Jリーグ開幕から30年が経過し、数多くの高卒ルーキーが活躍してきた。
高校からJクラブ入りした天才たちは、日本代表でも記憶にも記録にも残る活躍でサポーターを沸かせた。
そんな眩い若き才能の開花を多くのJリーグサポーターはニューヒーローの躍動を待望している。
今回は高卒ルーキーでJリーグに衝撃を与えた高体連出身選手5人をピックアップした。
日本をW杯へ導いた英雄
中田英寿
出身校:韮崎(にらさき)高
デビューしたクラブ:ベルマーレ平塚(現、湘南ベルマーレ)
日本を代表する伝説的な中田は、Jリーグ(当時1部しかなかった)でリーグ戦26試合8得点とルーキーながら圧倒的な活躍を見せた。
韮崎高時代は当時Jリーグに加盟する全12クラブ中11クラブが中田にオファーを出したと言われ、その中で平塚を選んだ理由は海外志向が高い中田に海外留学への許可を確約したことから平塚へ入団したという。
その後は日本代表を初のワールドカップ出場に導く活躍を見せ、ローマで日本人初のセリエA制覇を達成した。
元祖日本の司令塔型サイドバック
内田篤人
出身校:清水東高
デビューしたクラブ:鹿島アントラーズ
清水東高から鹿島へ加入した内田は持ち前のサッカーセンスをパウロ・アウトゥオリ監督に高く評価され、クラブ史上初の高卒ルーキーの開幕先発出場を果たし、リーグ戦28試合2得点と重用された。
広い視野と正確な先読みを生かして相手の起点を潰す守備や気の利いたカバーリングで守備を整え、正確なパスとクロスで前線を活性化させる司令塔型サイドバックとしてドイツ1部シャルケや日本代表の守備を支えた。
端正な顔立ちと毒舌で現役時代から多くの女性ファンから支持された内田。現役引退後はコメンテーターや解説業で活躍している。
ワールドカップ日本代表最年少出場の天才
小野伸二
出身校:清水商業高
デビューしたクラブ:浦和レッズ
清水商業高時代から天才と称賛されていた小野は、高卒1年目からリーグ戦27試合9得点とチームの中核としてプレーした。
アジアユース選手権準優勝の活躍などもあり、1998年開催のワールドカップフランス大会のメンバーに抜擢され、ジャマイカ戦に出場した。
天才的なパスセンスと誰にも真似できないボールタッチは健在で、43歳になったいまもJ1北海道コンサドーレ札幌でプレーしている。
青森山田のレフティーモンスター
松木玖生
出身校:青森山田高
デビューしたクラブ:FC東京
青森山田高生のときから国内外のプロチームから注目されていた松木は、ルーキーシーズンは開幕戦から先発デビューを飾りリーグ戦31試合2得点3アシストと中心選手としてチームを支えた。
一部報道では高校時代からフランス1部ストラスブールが獲得に動いたほどの逸材で、日本人離れした屈強なフィジカルと利き足の左足の精度は優れている。
近年はJユース出身選手が高体連選手よりプロの舞台での活躍が目立っているが、日本を背負う高体連出身選手として活躍が期待されている。
いまも変わらない高卒ルーキー最多得点者
城彰二
出身校:鹿児島実業高
デビューしたクラブ:ジェフユナイテッド市原(現、ジェフユナイテッド市原・千葉)
鹿児島実業高から出場機会を考えて市原へ入団した城は、リーグ戦33試合12ゴールと高卒ルーキーのデビューシーズン最多得点記録を残す活躍を披露した。
優れた身体能力と抜群の得点感覚で日本代表にも選出された城。1999年に当時スペイン1部バジャドリーへ移籍し、日本人で初めてスペイン1部リーグでプレーした。
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現在はYouTuberや北海道サッカーリーグの北海道十勝スカイアースでゼネラルマネージャーを務めるなど、多彩な活躍をしている。