ロシアの危険性を警告した小説家が死去 94歳 チェコで生まれ仏に亡命 パリの自宅で 

『存在の耐えられない軽さ』で知られ、ロシアの危険性を警告した小説家ミラン・クンデラさんが死去した。94歳だった。

チェコスロバキア生まれ、共産党から除名処分を受けた後、フランスに亡命したクンデラさんが11日、ほぼ隠遁生活を送っていたパリの自宅で亡くなったことを、生誕地ブルノにあるクンデラさん専門のアーカイブを誇るモラヴィア図書館が発表した。

同図書館の声明には「世界で最も翻訳された作家の一人であるチェコ系フランス人作家のミラン・クンデラが、2023年7月11日にパリの自宅で亡くなりました」と書かれている。

クンデラさんは1975年フランスに亡命、1979年当時の共産政権下でチェコスロバキア国籍を剥奪され、1981年にはフランス国籍を取得、その後2019年にチェコ国籍を改めて獲得した。

チェコスロバキア出身であるものの、自らをフランスの作家であると考え、自身の文学をフランス文学として研究し分類することにこだわったクンデラさん、最も著名とされる作品『存在の耐えられない軽さ』は、1968年の「プラハの春」を崩壊させたソ連による侵攻のさなかを舞台としている。

全体主義、祖国との困難な関係、モスクワがチェコスロバキアと近隣諸国を支配していたことに焦点を当て、風刺を用いて人生の不条理を描写したことで知られていたクンデラさんが亡くなったのはロシアとウクライナの対立が現在続く中でのこととなった。

1983年のエッセイでクンデラさんは「西側の東の境界である中央ヨーロッパでは、誰もが常にロシアの脅威の危険性に常に敏感だった」と辛辣に書いている。

その後、クンデラさんがチェコに戻ることはほとんどなかったが、2008年にチェコの出版社が報じた、1950年代に共産党の情報提供者であったという主張に対しては否定している。

10代で共産党に入党し、初期の詩には社会主義的な見解が含まれていたが、1950年に党を除名され、6年後に復党、1970年に再び除名されたクンデラさんだが、その追放が共産主義下のチェコの残酷な生活を描いた1967年のデビュー作『冗談』の着想の元となった。だがこの作品は出版の1年後には、他の多くの文章と同様にチェコで発禁処分を受けた。

4年前に市民権を回復した後、クンデラさんはチェコから権威あるフランツ・カフカ賞を授与されている。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

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