「もう住めない」と弱音 濁流、アスファルトえぐる 大雨の津幡・河合谷地区本社記者ルポ

氾濫した大海川の水が流れ、えぐられた道路のアスファルト=14日午後、津幡町下河合

 12日夜から記録的な大雨に見舞われた津幡町。道路が冠水した北國新聞社津幡総局の周辺では床上や床下浸水した家屋が多いが、加えて山間部では土砂や樹木が道路を覆って片側通行や通行止めの箇所が目立つ。被害の大きな河合谷地区に向かうと、浸水した家屋では「もう住めない」と弱音を吐くお年寄りも。大雨は過疎化が進む中山間地の暮らしに大きな傷跡を残した。(津幡総局・由井魁人(よしい・かいと))

 中心部の津幡地区から県道で河合谷を目指した。が、10分ほど進んだ中山で、県道をのみ込む土砂と倒木に行く手を阻まれた。新参者には迂回(うかい)路が分からず、付近で泥まみれの家財道具を運び出していた中村利徳さん(76)に声を掛けた。

 近くの能瀬川の水があふれ、中村さんの自宅は床上まで水に漬かった。町内に住む長男の晋太郎さん(52)が片付けを手伝ってくれているそうで、「非常時だから家族の絆を感じる」としみじみ語っていた。

  ●富山から孫駆けつけ

 「ただ、あっちは、もっと被害がひどいよ」と気の毒そうに話す中村さん。下流の方へ歩くと、片付け作業中の谷本敬子さん(83)と出会った。津幡町内のほか富山県からも孫が駆けつけてきて泥のかき出し作業を手伝ってくれたという。話すうち感極まって目に涙を浮かべる谷本さん。こちらも胸が熱くなった。

 仕切り直して別の県道で河合谷地区へ。陥没して亀裂が延び、泥がタイヤを滑らす道を慎重に進み、ようやくたどり着いた。大正末から昭和にかけ、住民が禁酒して旧河合谷小学校の改築費を捻出したことが語り継がれる地域だ。

 小学校跡地に立つ宿泊体験交流施設「河愛の里キンシューレ」前を通る道は、横を流れる大海川に路面が崩れ落ち、アスファルトがえぐられていた。普段は清い川の流れは茶色く濁っている。想像以上の被害に言葉を失った。

 「禁酒」の石碑近くで井戸水をくんでいた東紀秋さん(83)は、倉庫に水が押し寄せ、タイヤが8本流されたという。「自然の力だから仕方ない。非常時だからこそ、普段の生活がいかに恵まれているかを実感した」。

 大変な苦労に直面しながらも、住民が口々に話したのは、家族や近隣住民の絆の尊さだった。「禁酒村」の精神は町全体に広がっているのかもしれない。そんな想像を抱き、早期の復旧を願った。

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