佐賀での生活「忘れない」 ウクライナ避難民の女性、佐賀錦と帰国へ

「温かく、親切にしてもらったことは忘れません」とあいさつするナタリヤさん(右)=佐賀市の県立美術館内女子洋画研究所(岡田三郎助アトリエ)

 戦禍が続くウクライナから佐賀へ避難しているサイノグ・ナタリヤさん(55)が25日、帰国する。ほぼ1年にわたる滞在中、佐賀伝統の手織り「佐賀錦」の教室に通った。「とても快適で、平和で、安全が保証されていて。親切な人たちに囲まれて過ごせた」。佐賀での避難生活を振り返り、自作の佐賀錦のひな人形とともに佐賀を離れる。

 ナタリヤさんの自宅がある首都キーウは、ロシア軍によるミサイル攻撃が続く。13日には、現地に残っているエンジニアの夫(53)と、プログラマーの長男(25)から、撃ち落としたミサイルの破片で自宅近くのマンションの一室が大破したという連絡が届いた。壊れたマンションの画像をスマホで示しながら、ナタリヤさんは日本語で「コワイ、ワタシハコワイデス」と不安をのぞかせる。

 ナタリヤさんは元医師。昨年8月1日、本国の大学に通う長女(19)が第2外国語で日本語を学んでいたこともあり、日本へ避難してきた。来日後、長女は母国の大学の授業をオンラインで受けてきたが、ウクライナ政府の方針で9月の新学期から全面的に対面授業に切り替わるため、長女と帰国することになった。

 「現地の状況は刻々と変わっていて、この先、どうなるか分からない」とナタリヤさん。佐賀の住まいは引き払うものの、戦況次第では長女を休学させて、再び日本に避難することも考えているという。

 長引く避難生活の中、昨年秋に開かれた佐賀錦の体験教室で初めてブローチを作り、その美しさに魅了された。記念に渡されたポストカードのひな人形を見て「私も作ってみたい」と、月2回のペースで教室に通い、専用の織機も買い求めて自宅でも織り続けてきた。指導した佐賀錦振興協議会副会長の大坪順子さんは「佐賀錦を織っている間は、いろんな不安を忘れられたのでは」と、ナタリヤさんの心情を推し量る。

 最後の授業となった14日、佐賀市の県立美術館内の女子洋画研究所(岡田三郎助アトリエ)で一対のひな人形を仕上げた。大坪さんが「難易度が高い柄の『松皮菱(まつかわびし)』だったのに、本当によく頑張りました」とたたえ、教室の仲間たちから拍手が送られた。

 完成したひな人形を中心に教室の仲間たちと記念撮影に納まり、ナタリヤさんは「ひな人形は自宅の1番いい場所に飾ります。みなさんが親切にしてくれた思い出は決して忘れません」と感謝した。(古賀史生)

指導者らとともに記念写真に納まるナタリヤさん(左)=佐賀市の県立美術館内女子洋画研究所(岡田三郎助アトリエ)

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