中島弘明氏死去 メディキット創業者 87歳

中島記念館開館を前に故郷への思いを語る中島弘明氏=2011年

 血管用カテーテルで国内トップシェアを誇る医療機器メーカー・メディキット(東京)の創業者・中島弘明(なかじま・ひろあき)氏が17日午前3時50分、老衰のため日向市の自宅で死去した。87歳。日向市出身。通夜は20日午後5時半から、葬儀・告別式は21日正午から日向市日知屋12002の82、プリエール日向で。喪主は妻弘子(ひろこ)さん。
 富島高―中央大経済学部を卒業後、証券会社、電機メーカー勤務を経て1973(昭和48)年にメディキットを設立。地道な研究を重ね、国内で初めてフッ素樹脂を用いた一体成型カテーテルを開発。その後も止血弁を内蔵、安全留置針を装備する製品を製造、海外でも評価されて売り上げを伸ばし、一代で国内有数のカテーテルメーカーに育て上げた。
 2010年に社長を退き会長、21年に代表権のない創設者に就いた。また同年に地元・日向市から市民栄誉賞を贈られた。
 文化振興にも熱心で、08年に県立芸術劇場(宮崎市)の命名権(ネーミングライツ)を取得し「メディキット県民文化センター」と改称。宮崎日日新聞の取材に「郷里のために何かできることはないかと考え、『ぜひに』との要望もあり命名権を取得した」と答えていた。
 また12年には日向市東郷町の東郷メディキット敷地に県北地域初の常設美術館「中島記念館」も開館させた。

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