世界3団体女王「トップのままで」引退を決断 武勇伝が導いたボクシングとの出合い、後進へのエール

女子ミニマム級で世界3団体を制し、引退を決めた多田悦子。自身プロデュースのボクシングジムがある神戸・南京町で笑顔を見せる=神戸市中央区

 プロボクシング女子ミニマム級で世界主要3団体を計4度制し、現役引退を表明した多田悦子(真正、兵庫県西宮市出身)。42歳の国内第一人者は「トップのまま、本物のままやめたかった」とグローブを置いた。

### ■10人の男子に囲まれけんか

 引退の引き金は2021年の王座陥落だった。世界ボクシング機構(WBO)同級王者として韓国で臨んだ初防衛戦で、ベトナム選手に判定負け。最大の目標だった現同級世界2団体統一王者セニエサ・エストラダ(米国)との統一戦が遠のき、「ハードワークをあと1年、2年と続け、目標に到達するエネルギーがなかった」と明かした。

 競技との出合いは型破りだ。西宮西(現西宮香風)高時代、10人ほどの男子に囲まれてけんかになり、リーダー格らしき相手を蹴散らした。武勇伝を聞きつけたボクシング部の脇浜義明監督(当時)に勧誘され、2年生で門をたたいた。

 アマチュア50戦を経て、日本ボクシングコミッション(JBC)の女子公認を機に08年にプロデビュー。「ボクシングは芸術」と表現するサウスポーは、屈指の技術とスピードでのし上がった。

 テクニックの源は、尊敬する元世界3階級王者の長谷川穂積さん(西脇市出身)だった。「世界戦に初挑戦する前、トップの人のトレーニングを見ようと長谷川さんを訪ねた。練習内容を見て、紙に書いて、トレーナーに『この倍の量をやらせてほしい』と伝えた」

### ■挑戦者の感覚でいよう

 09年に世界ボクシング協会(WBA)同級王座を獲得し、9度防衛した。思い出深いのは、10年にカリブ海の島国トリニダード・トバゴで臨んだ3度目の防衛戦だという。

 治安が悪く、現地の日本人たちがボディーガードをつけてくれるなど総出で応援してくれた。一方、海外試合では嫌がらせも多く、この時はホテルの部屋に再三電話がかかり「チェックアウトしろ」と迫られた。試合会場の控室はトイレ。この経験から「チャンピオンであっても挑戦者の感覚でいよう」と肝に銘じるようになった。

 競技人口が少ない女子ボクシングの普及にも心を砕いた。「トップ選手の試合は誰が見ても感動する。自分も、本物の技術で戦えば人気が出ると信じていた」と語り、後進にこう願う。「世界チャンピオンになってからがスタート。突き抜けたいなら外国に渡り、トップと戦った方がいい」

### ■「えっちゃん」と親しまれ

 今は神戸・南京町でプロデュースするボクシングジム「LOVE WIN(ラブウィン)」を切り盛りする。「えっちゃん」と呼ばれ、気さくな人柄で親しまれた先駆者。「9割はしんどいことだったけれど、普通に生きていたら味わえないこともあったし、自信も付くし、人に優しくもなる。やってよかった」。ボクシングとの出合いに感謝した。(藤村有希子) 【ただ・えつこ】1981年5月28日生まれ。2001年のアジア選手権銅メダル。プロデビュー翌年の09年にミニマム級でWBA王座に就き、9度防衛。真正ジム移籍後の15年に国際ボクシング連盟(IBF)王者となり、18年と20年にWBOのベルトを獲得した。プロ通算27戦20勝(7KO)4敗3分け。

© 株式会社神戸新聞社