社説:市川さん芥川賞 社会に刺さる当事者性

 第169回芥川賞は市川沙央(さおう)さんの「ハンチバック」に決まった。同賞の長い歴史においても、とりわけ強い力で読む人と社会を揺さぶる作品ではないか。

 市川さんは難病「先天性ミオパチー」のため、人工呼吸器や電動車椅子を使って生活している。文芸雑誌の新人賞にも選ばれた同作は、選考委員の圧倒的な支持を得て受賞が決まった。

 自身を投影した重い障害のある女性が主人公だ。欲望や怒りを、鋭いユーモアを交えて描く。受賞作がデビュー作というから驚くが、これまで創作を20年以上続け、落選を重ねてきたという。

 題名の「ハンチバック」は差別語とされる「せむし」の意味。右肺を押しつぶすかたちで背骨が極度に湾曲した自分を「せむし(ハンチバック)の怪物」とルビをふって表現する。

 重度障害者が書いた点が話題の中心になりがちだが、出来栄えが評価されたのはいうまでもないだろう。むしろ「障害者に関心を向けてくる読者を試すところがある」と専門家は指摘する。

 強く印象に残り、本人も一番伝えたかったと言うのが、健常者を前提にした読書文化の「特権性」を糾弾する場面だ。

 目が見える、本が持てる、ページがめくれる、読書姿勢が保てる、書店へ自由に買いに行ける―「5つの健常性」を要求されることに、主人公が憎しみをあらわにする。考えもしなかったと多くの読者は思うだろう。

 逆に主人公が痛いところを突かれる場面もある。激しい性的描写も含め、一筋縄ではいかない多様な示唆に富む。

 市川さんは執筆の理由の一つに、過去に障害者が描かれた創作が非常に少ないことを挙げた。記者会見で「どうして2023年にもなってそうした作品が芥川賞で初めてなのか、みんなに考えてもらいたい」と話した。

 文学作品は時代や社会を映すと言われる。芥川賞は昨年、候補者が初めて全員女性となったことが注目された。「今どき女性だからと取りざたされるのはおかしい」との声もあったが、市川さんの登場は多数派中心の社会のおごりを一層気づかせてくれよう。

 社会を変えてきたのは当事者の声である。バリアフリーや性的少数者を巡る問題など日本の遅れが問われる中、こうした作品が脚光を浴びる意義は大きい。

 さまざまな当事者が書き手に加われば、文学も社会ももっと豊かになるに違いない。

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