石木ダム収用地 土砂搬入後も稲作続く 住民の川原さん「収穫できたら」

田植え機を操作する宏典さんを見守る川原房枝さん(左)=6月3日、川棚町川原地区

石木ダム建設のため長崎県が強制収用した東彼川棚町川原(こうばる)地区の田畑に土砂を入れ始めてから4カ月。水路をふさがれ稲作ができなくなった田があり、関連工事も進められているが、反対住民は残った田で米を作り続けている。
 少し伸びた苗が風を受け波を打っていた。川原房枝さん(83)の田は、15アール分につながる水路を土砂でふさがれ、使えるのは残りの約20アール。ただ、周辺で工事は進み、11日には数百メートル離れた団結小屋近くで草木の伐採が始まった。川原さんは「不安はある。邪魔をされず、このまま育ち収穫できたら」と苗を見つめた。
 4カ月前の3月22日昼過ぎ、抗議の座り込みでテントにいた。「田んぼの近くで重機が動いている」。知らせを聞き駆けつけると、既に土砂が入れられていた。仲間と県職員が言い争う横で、ショックのあまり、へたり込んだ。
 川原地区に嫁いで60年。1982年の強制測量時には「機動隊員から、抗議する仲間と一緒に田んぼに放り投げられた」。それでも休憩中に「自分も田舎の出身。こんないい場所にダムができるのか」と同情してくれる隊員もいたという。自宅の仏壇は300年ほど前のもの。「ご先祖さんが大事にしてきた田んぼ。(土砂搬入により水路を壊され)悔しい」
 5年前に夫を亡くし、今は娘と暮らす。3年前からは佐世保市に住む孫の宏典さん(29)も米作りに加勢している。
 6月上旬、子や孫、親戚ら10人ほどが集まった。田植え機を動かす宏典さんは「ばあちゃんがここを守っている。できる限り、続けていきたい」と額の汗を拭った。川原さんは「秋の稲刈りもみんなで集まりたい」と願った。
 住民によると、水没予定地に住む13世帯のうち、9世帯が米作りを今も続けている。県は2月、収用地での耕作を止めるよう住民に要求した。土砂搬入に対し住民側は「人道的配慮がない」「生活基盤の破壊だ」と抗議。だが大石賢吾知事と住民の話し合いは昨年9月から途絶えたまま、解決の糸口は見えずにいる。

© 株式会社長崎新聞社