長崎大水害から41年 あの日を忘れない 長崎市内で追悼行事、防災呼びかけも

読経の中、慰霊塔に焼香し、手を合わせる参列者=長崎市川平町

 死者・行方不明者299人を出した1982年7月の長崎大水害から23日で41年。長崎市内で追悼行事があり、犠牲者をしのんだ。
 34人が命を落とした同市川平町。同町自治会主催の慰霊祭に遺族を含む住民ら約20人が集まった。参列者は光源寺の石井郷一僧侶の読経の中、慰霊塔に焼香した。
 同自治会の松本幸一会長(67)は、伯母ら親戚3人を土石流で失った。「どーんという大きな音がした。いつもだったら自宅窓から傾斜地にともる住宅の明かりを望めるが、雨戸を開けると真っ暗だった」。一瞬で景色を変えた土石流の怖さを振り返り、「決してこの日、この時を忘れない」と言葉に力を込めた。
 「自分が住んでいる町が経験したことを知っていてもらいたい」。3月に同町へ移住してきた宮嶋真耶さん(37)は、長男で市立西浦上小1年の岳玖君(7)と初めて参列。「犠牲者を出さないためにも、災害時は早めの行動を心がけたい」と誓った。
 23日夜、市中心部の中島川沿いであった「7.23竹灯(あか)りのつどい」。「つなぐ 7.23 伝える」と刻まれた竹灯籠の光が、幻想的に辺りを照らした。死者・行方不明者の数と同じ299個のハートの形を、21本の竹筒(高さ約2.5メートル、幅約3メートル)にデザインした。
 市内で環境活動に取り組む9団体でつくる実行委が主催。長崎よか川交流会の兵働馨会長(71)は「犠牲になった命の大切さを次の世代につなぎたい。防災意識を高めるきっかけになってくれたら」と願った。
 市は同日午前11時、サイレンを鳴らし、鈴木史朗市長は市ホームページに追悼メッセージを寄せた。「災害から身を守るためには自助の意識と普段からの備えが最も重要」と防災対策を呼びかけた。この他、市民に災害時の避難行動を確認してもらおうと、市公式LINE(ライン)を使った「避難訓練」を実施した。

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