リース業を根付かせた「改革の旗手」、規制改革に今も残る悔い オリックスシニア・チェアマン 宮内義彦氏に聞く

経営、政治、資本主義、そして神戸。さまざまな論点について語るオリックスの宮内義彦シニア・チェアマン。先を見通す情熱は衰えない=東京都港区(撮影・大森 武)

 東京・港区のオリックス本社近くにあるオフィス。同社シニア・チェアマンの宮内義彦氏(87)は、笑顔で球団の日本シリーズ制覇を語り始めた。

 2022年10月30日夜、歓喜に沸く神宮球場で、宮内氏は5度、宙に舞った。「肋骨(ろっこつ)が折れないように胴上げしてもらってね」

 「がんばろうKOBE」を掲げた阪神・淡路大震災翌年の1996年以来、26年ぶり。オーナー引退の年に最高の花道となった。

 宮内氏は35(昭和10)年、神戸市灘区に生まれた。戦争中は兵庫県佐用町などへ疎開。9歳で終戦を迎えた。従来の制度は否定され、学制改革が行われた。

 48年に関西学院中学部へ進む。関学大卒業後、米ワシントン大で経営学修士(MBA)を取得し、商社の日綿実業(現双日)に就職。リース事業を学びに米国へ派遣された後、同社などが64年に新設したオリエント・リース(現オリックス)の設立メンバーに加わった。総勢13人の船出だった。

 コンピューターやコピー機のリースで事業を拡大。80年に45歳で社長に就き、成長の階段を駆け上がった。会社の知名度を上げようと、プロ野球球団を買収。89年、社名を「オリックス」に変更した。

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 会社の成長に没頭する日々。転機は50歳の時だった。経済同友会に入会。後に日銀総裁となる日商岩井(現双日)の速水優氏や、富士ゼロックス(現富士フイルムビジネスイノベーション)の小林陽太郎氏ら経済界の論客と交流を深めた。

 特に感銘を受けたのが、95年に代表幹事となった姫路出身の牛尾治朗氏が訴えた市場主義宣言だった。「日本は戦後に行政が主役で高度成長に成功したが、企業が主役にならないと市場経済は発達しない」

 同年、村山富市内閣の規制緩和小委員会に参加。翌年、座長となる。橋本龍太郎、小渕恵三政権でも規制緩和の委員会で座長や委員長を引き受けた。

 大都市圏の容積率緩和や金融機関の資金調達手段の多様化などを進めるが、「徐々に大物(の規制)が残ってきた。小泉純一郎さんの頃には、てこでも動かんようになった…」。2006年、小泉首相退陣とともに規制改革から身を引く。

 現在、13人で始めたオリックスは従業員約3万5千人、売上高2.6兆円に。系列の関西エアポートは関西、大阪(伊丹)、神戸の3空港の運営権を獲得し、神戸の30年前後の国際定期便就航につながった。

 ただ規制改革には今も悔いが残る。「とにかく挫折、ですな」(高見雄樹)

     ◇     ◇ ### ■大物ばかり「てこでも動かん」

 「自民党をぶっ壊す」と叫んで2001年、首相になった小泉純一郎氏。5年5カ月の長期政権で、既得権益を否定し、数々の改革を進めたイメージが強い。

 だが、小泉政権の総合規制改革会議議長だったオリックスシニア・チェアマン、宮内義彦氏(87)の印象は違う。「改革を進めたとは全く思わない。むしろ小泉政権で改革が止まった」

 宮内氏は1985年の経済同友会入会後、規制改革に関わった。91年、海部俊樹政権の臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)の委員に同友会から参加。橋本龍太郎、小渕恵三政権では規制緩和の委員会で座長や委員長を務めた。

 「初めは、あまりにもしょうもない規制が残っとったんです。さすがに変えないと、ということで、うまくいった」。レンタルでしか使えなかった携帯電話の販売を認め、大都市中心部でビルの容積率を緩和した。

 「徐々に大物(の規制)が残り、小泉さんの頃には大物ばかり。てこでも動かんようになった」。小泉氏にはとても努力してもらった。ただ「農業、教育、厚生労働(医療や雇用)、エネルギーなど非常に大きなものが残ってしまった」。

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 その中で「作戦の失敗だった」と宮内氏が悔やむのが、労働者派遣法の改正だ。派遣期間や職種を拡大したが、低賃金で不安定な雇用が増えたと批判がある。

 「日本の雇用は非常に硬直化している」。これが会議のベースとなる哲学だった。雇用を流動化させ、働く人の自由な意志を尊重すべきと、宮内氏らは考えた。

 「入社したら、出来が悪くても定年まで辞めさせられない。日本の正規雇用は、世界で最も守られている」。一方で非正規には何もない。「こんなばかな話はない」。宮内氏らは、パートや季節労働など類型ごとに、非正規を規定した制度を作り、正規には解雇規定を導入しようと考えた。

 ところが、解雇規定には当時の民主党と連合が大反対。諦めかけた時の判断を今も悔やむ。「瀬戸際で、できることからやろうとなり、非正規の方だけ進めてしまった」

 今も解雇規定はない。「世界中で日本ぐらい。当時は欧州の方が規制が厳しかったが、自由化が進んだ。日本では徹頭徹尾守られた正規と守られない非正規の差が開いた」と憤る。

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 規制改革の難しさを、宮内氏は「(規制を組み込んだ)社会システムが出来上がり、その中で生きている人がいる。何をいまさら、というわけです」と語る。

 当初は、耳を疑う議論も多かった。メンバーの半分は官僚と元官僚、残りが学者や経済界の代表。民間出身者が緩和すべき点を挙げると、官僚が規制の意味をとうとうと述べる。出来上がった報告書は両論併記。「結局はゼロ回答。改革は進まなかった」

 橋本政権で96年、初めて規制緩和小委員会座長に就任した時には、官僚は排除されていたが、「最終報告書は内閣が受け取れるものに」と注文が付いた。

 「委員会で官僚を全て説得し、お膳立てしろと言うのです。ものすごく勉強して官僚とやり合っても、縦割り行政なので、最後に1人でもノーと言ったらおしまい。漫画みたいです」

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 失われた30年を検証する経済大転換。第4部は、宮内氏が闘った数々の規制を軸に、日本の課題と地元・兵庫の明日を見つめる。(高見雄樹) 【オリックス】1964年オリエント・リースとして大阪で創業。日綿実業(現双日)と三和銀行(現三菱UFJ銀行)を中核に3商社5銀行が出資した。リース、金融、不動産、エネルギーなど。2023年3月期連結売上高は2兆6663億円。

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