88歳、おもちゃドクター引退 壊れた「患者」治療し続け18年、その数なんと3900個超…姫路の名物院長の歩み

自宅ガレージでおもちゃの修理を続ける吉田清彦さん=姫路市東今宿

 壊れたおもちゃを直し続けて18年。兵庫県姫路市の「面白山おもちゃ病院」(同市神子岡前3)の名物院長、吉田清彦さん(88)=同市=が来年3月に引退する。これまでに手がけた「患者」は3900個以上。子どもたちの笑顔をエネルギーに長らく院長を務めてきたが、寄る年波を理由に一線を退くことを決めた。吉田さんは残された時間をかみしめるように、今日もおもちゃと向き合っている。(森下陽介)

 同院は面白山児童センター内にある。2005年、吉田さんはテレビ番組でおもちゃを修理する人を見かけた。「こんなことをやってみたいんや」。ぽつりとこぼした言葉を聞いた知人が同センターに掛け合い、すぐに開院が決まった。吉田さんが院長に就いた。

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 幼い頃から手先が器用だったという吉田さん。戦時中、空襲の焼け跡から部品を集めては自分でおもちゃを作って遊んだ。二階町商店街にあったラジオの部品販売店に通い、一から組み立てたこともあった。

 中学校を卒業後、自宅近くの自動車部品販売会社に就職。30代になると独立し、以降も一貫して自動車関連の仕事を続けた。

 退職し、おもちゃ病院の院長になったのは69歳の時。初めて修理したのは電車のおもちゃだった。見たことがないねじ穴の形に戸惑い、ホームセンターを駆け回った。「ぴったり合うドライバーを見つけた時はほっとした」と振り返る。

 苦労も多かった。ある時は、足が折れ曲がった犬のぬいぐるみが持ち込まれた。内部のプラスチック製パーツが曲がり、直すのは困難だった。そのため、山でパーツに似た形状の木の枝を見つけ出し、削って代用したこともあった。

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 修理作業を行うのは自宅ガレージ。ドライバーだけでも20本以上が並び、ボール盤やグラインダーなどの工作機械もそろう。年季の入った机の上には、修理箇所などを書いた問診票が山積みになっている。

 時代が進むにつれ、修理するおもちゃの種類も変化した。最近ではドローンも持ち込まれるように。新しいおもちゃと向き合うたび、吉田さんは「世の中にはこんなおもちゃがあるんやな」と感心しながらも、「絶対に直したる」との気概にあふれたという。

 同院にはかつて「外科部長」や「整形外科部長」らほかにもドクターが5、6人いたが、みな高齢で辞めてしまった。現在は院長1人だけで、依頼が重なった時は修理が夜遅くまでかかることも。吉田さんの体を心配する家族の声もあり、引退が決まった。

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 7月初旬、吉田さんの米寿の誕生日に合わせてお別れ会が催された。子どもたちから手渡された色紙には「せんせいありがとう」、「赤ちゃんの宝物だったので本当に助かりました」など感謝の言葉があふれた。

 大切なおもちゃが直って喜ぶ子どもの笑顔やお礼の言葉が活動の原動力だったという吉田さん。これまでを振り返り、「どうしても修理できず悔しい思いをしたこともあったけど、充実していた。あっという間の18年やったなあ」

■「おもちゃ病院」全国に拡大中、定年退職後のドクターら奮闘

 おもちゃ病院の取り組みは、全国各地でじわりと広がっている。修理に携わるドクターの多くは、定年退職をした人々。子どもたちの物を大切にする心を養うことに貢献しようと、「第二の人生」として活動する人が増えているという。

 日本おもちゃ病院協会(東京)によると、現在、同協会に登録する病院数は全国で約680カ所。記録が残る2016年(約580カ所)から増加傾向にある。新型コロナウイルス禍の影響で閉院していた病院も多かったが、今年に入り再開し始めているという。

 同協会への登録は任意で、兵庫県内には計19カ所ある。姫路市内では、JR姫路駅前の商業施設「グランフェスタ」内にあるおもちゃ病院が登録している。

 同病院でも多くの高齢者が活躍中だ。この春から活動に参加している三木義則さん(67)=太子町=は「多い月には12個も自宅に持ち帰り、空いた時間にこつこつと直している。苦労もあるが、お客さんの喜ぶ顔を見るのがやりがい」と充実感をにじませる。

 同協会によると、最近はドクターの講習会に、若い世代や女性の参加者も増えているといい、今後、担い手の幅はさらに広がりそうだ。(森下陽介)

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