別れの動画反響、45歳で他界の緩和ケア医に後継 遺志継いだ元同僚「地域医療支えたい」 神戸

「関本剛さんのクリニックをしっかり守り、いつか将来、あちらの世界で報告したい」と話す熊野晶文院長=神戸市灘区八幡町3、かえでホームケアクリニック

 がん患者約千人を看取(みと)り、昨年4月、自らも肺がんなどのために45歳で亡くなった緩和ケア医の関本剛さんの関本クリニック(神戸市灘区)が今春、かえでホームケアクリニックとして再出発した。非常勤医としてクリニックを手伝っていた医師の熊野晶文さん(47)が後継を引き受けた。末期患者の在宅療養を支える地域拠点が存続することになり、剛さんの母で創設者の雅子さん(73)は「私たち親子の思いを引き継いでくれてうれしい」と話している。(津谷治英)

 クリニックは、日本ホスピス在宅ケア研究会理事などを歴任し、兵庫の緩和ケア医療をけん引してきた雅子さんが2001年に開院した。緩和ケアの重要性が浸透する前の時代で、自宅での療養を望むがん患者の訪問診療を24時間体制で続けてきた。

 剛さんは雅子さんの長男で、六甲学院高校、関西医大を経て医師になり、六甲病院(同市灘区)で緩和ケア医としての一歩を踏み出した。15年に関本クリニックに移り、3年後、母の後継として院長に就いた。しかし翌年、末期の肺がんが見つかった。

 闘病しながら仕事を続ける剛さんを公私で助けたのが熊野さんだった。西宮出身で同じ高校の1年年長だった。和歌山県立医大、神戸大大学院を経て神戸大病院泌尿器科に勤務。前立腺がん患者を診察する中で、「苦しみを取りのぞく医療を学びたい」と緩和ケア医を志望した。六甲病院の門をたたき、剛さんと1年間、同僚として勤務した。

 完治が困難な緩和ケアの現場では、患者や家族はどうしても後ろ向きになりがち。熊野さんも患者との距離のとり方に悩んだ。だがこの分野で先輩になる剛さんから「熊野さんは場を明るくする力がありますね」と言葉をかけられ、自信をつけたという。

 交流が深まり、クリニックの非常勤医に。剛さんの闘病中は代わりに訪問診療も担った。そんな中、自身の先行きを悟った剛さんから後継を頼まれた。

 「雅子先生や剛さんは緩和ケアの世界でよく知られる偉大な先輩。2人が築いたクリニックを引き受けられるだろうかとプレッシャーだった」と振り返る。

 剛さんの症状が悪化すると熊野さんは、雅子さんとともに自宅での療養を支えた。会話は難しくなったが、熊野さんの手を強く握り返した時があった。臨終の病床にも立ち会い、人生を最後まで生ききる姿を身近に感じた。その体験から決意を固めた。

 「この人の信頼に応えよう。ユーモアたっぷりの剛さんにはとても及ばないが、私のやり方で地域医療を支えたい」

 雅子さんもしばらくは週2回、診察する。「緩和ケアの経験を積んだ方に来てもらえたことがうれしい。忙しい業界なので、健康には気を付けて頑張ってほしい」と期待していた。

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