プレシーズンツアーのために来日中のドイツ王者バイエルン・ミュンヘン。
ブンデスリーガを11連覇しており、国内で絶対的な存在に君臨してきた。
ここでは、サッカーゲーム「ウイニングイレブン」(現eFootball)でお世話になった懐かしのバイエルンスター選手を振り返ってみる(当時は偽名選手だったかもしれないが)。
ゼ・ホベルト
43歳まで現役でプレーした元ブラジル代表の鉄人。
もともとはアタッキングセンス溢れるサイドプレイヤーで左足は天下一品だった。攻撃だけでなく守備力や献身性も備えていたため、その後はボランチとして長らく活躍。
左利きなうえ、バランスのとれた能力だったのでゲーム上でも重宝できた。
ハサン・サリハミジッチ
ユヴェントスでもプレーした元ボスニア・ヘルツェゴビナMF。
“Brazzo(永遠の子供の意味)”が表すように気性の荒さもあったが、常に全力でプレーすることから各監督に重宝され、バイエルンで一時代を築いた。
左右の両サイドだけでなく、中盤なら幅広いポジションでプレーし、サイドバックもこなした。
切れ味のあるドリブルだけでなく、献身的な守備も持ち合わせており、ゲーム上でも頼りになった。
サムエル・オセイ・クフォー
2006年のワールドカップにも出場した元ガーナ代表DF。1992年のバルセロナ五輪では弱冠15歳にして銅メダルを獲得している。
身長は180cmに満たないほどでセンターバックとしては小柄だったが、圧倒的な身体能力の高さを活かしたカバーリングと対人戦の強さで活躍。ゲーム上では安価で獲得できる存在として有用だった。
ロイ・マカーイ
クラウディオ・ピサーロらとも迷ったが、元オランダ代表FWをチョイス。
190cm近い長身ながら多彩なフィニッシュでゴールを陥れた天性のゴールハンターだ。
デポルティーボ・ラコルーニャでも176試合で97ゴールと活躍したが、バイエルンでは183試合で103ゴールを叩き出した。
ゴールを奪うことに特化したタイプだったが、時速122キロのシュートを繰り出す右足だけでなく、左足やヘディングの精度も高く、カウンターやPKからゴールを奪うのもお手の物だった。
セバスティアン・ダイスラー
度重なる怪我と手術、そして、鬱病に苦しみ、27歳の若さで引退を余儀なくされた天才肌の元ドイツ代表MF。
当時のドイツには稀有だったエレガントさを持っており、全盛期のクロスのまさに世界最高レベル。
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WEに『オリンピックモード』が搭載されていた頃にお世話になった。バランスのとれた能力を持つ攻撃的MFとして、マスターリーグでは真っ先に獲得していた。