太古の歴史が語る、戸隠・信仰の里

五つの社、天岩戸伝説を体感

隋神門・・・杉並木の向うに奥社があります

戸隠は大変古くから信仰の里として栄えてきたところです。現在は戸隠神社五社(奥社・中社・宝光社・日之御子社・九頭龍社)あります。しかし、元々は宝光社(ほうこうしゃ)も中社(ちゅうしゃ)も奥社にお祀りされておりました。

長い時代、戸隠は修験道で栄え女人禁制でありました。そのため、どなたでもお参りいただけるようにと、宝光社が、その中間に中社ができました。

それぞれのご祭神は「天の岩戸開き」の神話でご功績のあった神様を祀り、戸隠という地名も力の神と言われる「天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」が投げ飛ばした「天の岩戸」が地上に落ちてできたのが戸隠山です。そして、岩戸を隠した里で戸隠と名付けられたと一般的には言われております。

五社の中で主祭神にあたる神様がこの天手力雄命であり、奥社が戸隠神社本社にあたります。

社伝によると、その創始は第八代孝元天皇五年と伝えられ、西暦では紀元前220年とされております。奥社は戸隠山の登りかけた位置にお社がありますので、片道2kmの参道をお歩きいただき中程の随神門・杉並木を抜けると残り300mほどは大変きつい坂を登ります。

鏡池越しの戸隠山・・・まるで鋸の歯のようです!

そして、お社の後ろにそびえて見える鋸の歯の形をした屏風を立てめぐらしたような山が戸隠山です。

修験道、山岳修行の霊場

この山容の険しさ故に奈良・平安の頃には全国に名前の知られた山岳修験の霊場でありました。平安後期、後白河法皇の編纂された『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には「四方の霊験所は、伊豆の走り湯、信濃の戸隠、駿河の富士の山、云々」と記されており大変古くからの霊場であったことがうかがえます。

戸隠三千坊とも称えられ院坊がたくさん立ち並んでいたようです。当館のある中社は標高1200m、奥社では1350mあります。高地であるが故、農作物も満足に採れません。まして、大変に長く厳しい冬のあるこの地において、古い時代よりこれだけの規模の集落ができたこと自体、全国的に見てもまれな場所だと言えます。

戸隠信仰を支える宿坊

戸隠で「宿」というのは、平安時代からすべて宿坊です。今では、旅館や宿坊と名乗っています。

当館は古くは「明遊坊」後に「寿教院」、そして明治以降「辻旅館」となりました。これは明治元年の神仏分離令によりそれまでの「戸隠山顕光寺(とがくしさんけんこうじ)」が「戸隠神社」となりました。

同時に修験道が廃止され宿坊の名前もなくなりました。また、坊の主人は神主に姿を変え、現在まで戸隠信仰を伝える役割を担っております。

私ども宿坊の中には、江戸末期の坊の建物をそのまま残している宿がたくさんあります。その景観が評価され、2017年「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けました。宿坊群としてその対象に選ばれたのは全国初。また、国立公園内での選定も全国で2例目です。

そのため、信仰に基づく文化が大変色濃く残っている所でもあります。あいにく、当館の宿坊時代の建物は、昭和の初めに焼失してしまい、今どきの建物になってしまいました。

自然豊かな戸隠、心の癒しを体感

そのような、戸隠は国立公園に代表される素晴らしい自然景観も持ち備えた高原であります。1954年に妙高戸隠国定公園に指定。1956年に上信越国立公園に編入。2015年に妙高戸隠連山国立公園として分離独立をしています。

西に非火山で険しい戸隠連峰。東には女性的な稜線を持つ飯綱山。そして、北には富士火山帯の北端とも言われる黒姫・妙高火山群。北信五岳と言われる山々に囲まれながらも、日本の屋根と言われる北アルプスの山なみも見渡せる風光明媚な高原です。

湯之峰夕陽展望苑(そば博物館とんくるりん)からの景色

特に、日本の屋根北アルプスに沈む夕日を目の当りに見渡す景色は全国屈指と言っても過言でありません。更には日本三大野鳥の宝庫の一つにも数えられ春先には野鳥たちのさえずりも大変にぎやかです。

戸隠へ訪れる皆様が歩かれる森の中一帯は、すべてが神域に位置付けられます。四季折々の移ろいの中、五感、更にはもう一感をも感じさせる空間であります。その中で心を癒していただけるのが戸隠の一番の魅力です。

寄稿者 辻明紀(つじ・あきのり) 鷹明亭辻旅館 代表取締役

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