長崎・とんかつ濵かつ本店 61年の歴史に幕 リンガーハット創業の地 見つめた最後の1日

「とんかつ濵かつ本店」の最後の営業日に開店を待つ人々=30日午前10時13分、長崎市鍛冶屋町

 外食大手リンガーハット(東京)創業の地である長崎市鍛冶屋町の「とんかつ濵かつ本店」が7月30日、閉店した。61年前に街角の小さなとんかつ屋として出発し、現在は全国、海外にリンガーハット574店、濵かつ84店を展開する一大グループに成長。“原点”最後の営業日を見つめた。
 開店1時間前の午前10時、店の前にすでに人だかりができていた。店の前で社員が客の名前を控え、指定時間を案内する。前日の29日、厳しい暑さの中、店の外に順番待ちの行列ができたため、急きょ予約を取ることにした。開店前から1~2時間待ちの盛況。店内ではスタッフが慌ただしく準備に追われていた。
 「この店から全国、海外に進出するまでになった」。創業ファミリーでリンガーハット会長の米濵和英さん(79)は、開店前の店内で感慨にふけった。1962年、兄の豪さん(故人)が、この地で「とんかつ浜かつ」を始め、兄弟で切り盛りした。74年に長崎市内でリンガーハットの原型となる1号店を出店。外食産業ブームに乗り、全国に拡大した。
 午前10時半、30分繰り上げて営業が始まり、店内はすぐ満席となった。客の一人一人にソース用のゴマをするすり鉢とすりこ木が運ばれる。客が自らゴマをするスタイルは豪さんのアイデア。若かった和英さんは「せまい厨房(ちゅうぼう)のどこにすり鉢を置くスペースがあるんだ」となじると「その場でゴマの香りを楽しめれば、お客さんに喜んでもらえるだろう」と一喝された。「おもてなしの心」は現在もグループの理念として受け継がれている。

 ◎変わっても、続くもの
 思い出が詰まったとんかつ濵かつ本店だが、建物の老朽化が進み、閉店を余儀なくされた。リンガーハット会長の米濵和英さんは朝から兄の墓前に手を合わせ、報告した。「残念だが時代の変化。まちが100年に1度の変革を迎える中、私たちも変わらなければ」。来年初頭にJR長崎駅ビル内に新店舗の出店を計画している。長崎市中心部から駅周辺へシフトする商圏の動きを、体現する結果となった。
 30日午後9時すぎ、注文を締め切り客は数組となった。昼間より少し静かな店内に、ながさきみなとまつりの花火の音が遠くから響いた。別の店から応援に駆けつけた佐藤千寿さん(68)は「寂しくなる」と店の看板を見上げた。1984年から「濵かつ」の調理場に立ち、本店の勤務が最も長かった。鍛冶屋町が長崎くんちの踊町だった年は根曳(ねびき)衆として出演。閉店を惜しむ地元の人たちの声に触れ「地域と共に歩んだ店」と再認識した。
 「61年間ありがとうございました。濵かつ本店閉店いたします」。閉店の午後9時半、店の前でスタッフが一礼した。「営業中」の木札を外し、歴史に幕を下ろした。最後の客は、五島市のスポーツトレーナー、畠山拓巳さん(27)。かつてこの店でアルバイトをしていたという。「友達みんなで行く『濵かつ』が楽しくて、働きたいと思った。長崎ランタンフェスティバルの日は忙しくて、協力して乗り切ったなあ」。閉店後、まだ明かりがともった店内を見つめながら思い出を語り、こう締めくくった。「みんなでおいしいもの食べ、和気あいあいと笑っている。そんな『濵かつ』がこれからも続いてほしい」

注文締め切り後の店内。閉店まで多くの客が訪れた=30日午後9時2分、長崎市鍛冶屋町

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