原爆詩「生ましめんかな」から現代アート 詩がつないだ出会い 作家が “あの時、生まれた赤ちゃん” と対面 助産師の遺族も アルフレド・ジャー展 広島

原爆をテーマにした詩「生ましめんかな」をもとに、現代美術の作品を作ったアーティストが、広島市で個展を開いています。広島を訪れたアーティストは、この詩のモデルとなった被爆者に初めて対面しました。

壁面に並ぶ数字。カウントダウンは「絶望」を表す「ゼロ」に―。原爆で失われた多くの命。そこから浮かび上がる「生ましめんかな」の文字。

作品を作ったのは、チリ出身でニューヨーク在住のアーティスト、アルフレド・ジャーさんです。「ヒロシマ賞」の受賞を記念した個展を開くため来日しました。

ヒロシマ賞は、平和を発信するアーティストに広島市が贈る賞で、これまで故・三宅一生さんやオノ・ヨーコさんらが受賞しています。

世界中で起きた災害や内戦などをテーマに作品を作り続けるジャーさん。「原爆」にも長年、向き合ってきました。

アーティスト アルフレド・ジャーさん
「広島は平和の象徴です。栗原貞子さんが ”生ましめんかな” と書いたように、争いではなく、新しい命を生むのです」

「生ましめんかな」は、降り注ぐ数字の「0」で原爆被害の大きさを訴え、暗闇から浮かび上がる「生ましめんかな」の文字で、命が誕生する「希望」を表現しています。

アルフレド・ジャーさん
「『生ましめんかな』の7文字に込められた、“希望をあきらめてはいけない” という思い。栗原さんのこの思いを伝えようと、作品を作りました」

あの日、誕生した ”赤ちゃん” は… 詩のモデルとなった被爆者と対面

広島市の原爆詩人・栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」。原爆投下後、けが人で埋め尽くされた広島市内の地下室―。居合わせた助産師の助けで1人の赤ちゃんが誕生したという実話をもとにした詩です。

(栗原貞子作「生ましめんかな」より抜粋)
「私が産婆です、私が生ませましょう と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ
生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも」

詩の中で誕生した ”赤ちゃん” が、被爆者の小嶋和子さんです。「生ましめんかな」は、小嶋さんをモデルにした詩です。ジャーさんは初めて小嶋さんと対面しました。

アルフレド・ジャーさん
「まさか、あの時の赤ちゃんに会えるなんて思ってもいませんでした。来てくれて本当にありがとう。あなたは私の作品そのもの。新たな命、将来の世代への希望です」

「生ましめんかな」のモデル 被爆者 小嶋和子 さん
「こういう機会をいただいて感激です。三好さんも喜ばれているだろうなと思って…」

助産師にもモデルが… 三好ウメヨさん ジャーさんと孫の出会い

詩に登場する助産師にもモデルがいました。「三好ウメヨさん」―。小嶋さんがいまも感謝を忘れないウメヨさんは、自らも大けがをしながら、地下室で小嶋さんを取り上げました。

詩の中で ”産婆” は亡くなりますが、ウメヨさんは戦後も助産師を続けました。

ヒロシマ賞の授賞式には、小嶋さんも駆けつけました。そしてジャーさんは初めて、ウメヨさんの孫・三好智史さんとも会うことができました。智史さんの話では、ウメヨさんは生前、地下室での出来事について多くを語らなかったといいますが、「どんどん死んでいく人を見送る中で、生まれてきた赤ちゃんにほっとした」と話していたそうです。

アルフレド・ジャーさん
「これは奇跡だ。詩の中の赤ちゃんは生きていた。助産師のお孫さんにも会えた。こんな出会いがあるなんて!」

個展に展示されるのは、「生ましめんかな」も入れて全部で9点。

光が降り注ぐこちらの作品。実際に広島市内で誕生した赤ちゃんたちの”産声”が、それぞれの生まれた時刻に響き渡ります。

上空から見た原爆ドームが姿を変え、突然、送風機から強い風が吹く「ヒロシマ、ヒロシマ」。

どれも五感に訴えかける印象的な作品です。

「ジャー展」を見た人
「一言で言い表すのが申し訳ないくらい、本当に真摯にヒロシマに向き合われててすごくびっくりしました」
「このくらい広島のことを微細に表現して下さっていて、本当に感動しました」

廃墟から生まれた新しい命「生ましめんかな」がつないだ出会い。ジャーさんの希望のメッセージは作品となって広がっています。

日本では初めての本格的な個展となる「ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展」は、広島市現代美術館で10月15日まで開催されています。

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