全身やけどの父は「ペンチで背中のガラスを抜いてくれ」と言った 高校生が描く「原爆の絵」 初めて知る “戦争の痛み"

広島市の高校生が被爆者の体験を「絵」にする取り組みを続けています。葛藤しながら絵を制作した高校生を追いました。

この夏に完成した1枚の絵です。

被爆者の証言をもとに、高校生が描きました。全身やけどを負った父親。その背中に突き刺さったガラスを必死に抜こうとする小さな子ども…。

絵を描いた 福本あおい さんです。爆心地から3.5キロで被爆した 廣中正樹 さんの体験を絵にしました。

福本あおい さん
「廣中さんが体験した痛み、話を聞いて自分が感じた痛みを絵で表現できるのか、とても不安な気持になりました。廣中さんをはじめ多くの人の支えがあり、絵を完成させることができました」

広島市にある基町高校では、16年前から毎年、被爆者の記憶を継承するために「原爆の絵」を制作しています。福本さんが絵を描くきっかけは、先輩や友だちが描いた原爆の絵の披露会でした。

福本あおい さん
「被爆者の思いをちゃんと受け止めて完成させていて、証言者の方が喜んで感謝しているのを見て、すごいなと」

原爆に強い関心があるわけではありませんでしたが、挑戦してみることにしました。保育園の頃からイラストを描くのが大好きだったという福本さん。

福本あおい さん
― かわいい!
「これ、全然違う。原爆の絵とかとまったく違う」

空想や感情をデザインしたり、愛犬など身近なものを描いたりしてきました。広島市で生まれ育った福本さんですが、被爆者と直接関わるのは初めての体験です。

福本あおい さん
「昔のものを描くって本当になかった。全然違うジャンルというか、いちから知っていくのは難しいな」

描き始めてから1か月後…。下書きを廣中さんに見てもらいました。

廣中正樹 さん
「全身、やけどをしとるけんね、ここは完全に身が出て、真っ赤かになっとったけんね」

福本あおい さん
「イメージとしてはけっこう暗めにしようかなと思って…」

描くのは、当時5歳だった廣中さんが全身にやけどをして帰宅した父・一さんから、ペンチを使って「背中のガラスを抜いてくれ」と頼まれたときのことです。

廣中正樹 さん
「1番よくかわいがってくれたお父さんがこんな姿になっとる。自分なりに一生懸命してやったんだけどな。だけど、抜けなんだ…」

一さんは、この2日後に亡くなりました。廣中さんは、証言活動で必ず一さんの話をします。

廣中正樹 さん
「こういう絵を見ると、昔を思い出すな。そういうね、情けない姿を見ながらペンチで抜こうとしたんだよな」

福本さんは、このとき、廣中さんの心に中に残る痛みを感じとったといいます。

福本あおい さん
「自分がその立場に置かれたらと考えたら、やっぱり自分だったら絶対に何もできないし、そんな体験が今、この時代にないと思うので、すごくつらい気持ちになる」

自分の絵で、この戦争の痛みを伝えられるだろうか…。不安を抱えながらも、明るさや色味などの打ち合わせを重ねました。

廣中正樹 さん
「ここらを赤く塗って、光をこのようにして」

福本あおい さん
「(原爆投下)当時の色付きに資料や全く同じシチュエーションはないので、いちから自分で考えていかないといけないというのが、すごく難しい…」

ことし2月、下書きを完成させ、実際のキャンバスに絵を描き始めました。

福本あおい さん
「やっぱり全然サイズ感がわからないのが1番多くて、体型を今まで解剖学の本を見て書こうと思っていたけれど、それで書いていたら今の健康的な体つきになってしまって…」

実際のポーズを友だちに写真に撮ってもらったり、戦時中の写真の本を読んだりして研究しました。絵を描き初めて半年余りが経ちました。

廣中正樹 さん
「ガラスがこう(背中に)入れてな、お父さんの目も後ろ向きのような感じで」

― 振り向いている感じで。
「そうよな」

福本あおい さん
「廣中さんが見たものが本当じゃないですか。ここはこういう感じだったのでは?と違う解釈をしてしまって、どんどんはずれていってしまう。すごく難しいところがあって」

証言を聞くだけで絵で表現することの難しさをあらためて痛感します。数日後、美術室を訪ねると、完成に近づいていたはずの絵を1人、塗りつぶす福本さんの姿がありました。

福本あおい さん
「正直、今まで絵になんか納得できていない自分がいて、いちから書き直して、自分と廣中さんの納得がいくように…」

体の大きさや向き・表情まで廣中さんの記憶を忠実に再現するため、家族に当時の状況を演じてもらいました。

廣中正樹 さん
「おお、すげえな。よく描けとる」

顔や背中のやけどの描写では本物のやけどの写真の資料を参考にしたといいます。

福本あおい さん
「この絵に込めた思いなんですけど、本当に戦争は心が痛む話なんだなと感じながら描いた」

廣中さんの体験に少しでも近づけたい、その一心で 休日は朝から晩まで筆を動かしました。そして、この夏、何度も悩んで書き直した原爆の絵が完成しました。

廣中正樹 さん
「手を合わせるだけ。ほんま、感謝感謝。よう描いてくれた。この絵を見て、親がどういう思いでこんなことをさせているのかの気持ちを想像してほしい」

福本あおい さん
「自分の考えと実際にあったことは全然違うと感じた。先入観にとらわれずに描くという能力が身についたし、(この絵で)戦争することの『痛み』を1番伝えられたらなと考えています」

「原爆の絵」に挑戦しなければ、知ることのできなかった戦争の痛みや、記録に残すことの難しさ…。福本さんは、1人でも多くの人にこの絵があってよかったと感じてもらえることを願っています。

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