爆心地から逃れた母子、残った義姉 たった1日が分けた生死 手紙が語る 長崎原爆と家族の記憶 #戦争の記憶

1945年8月9日に宮﨑千代子が原爆で亡くなる10日前、小林コフヂに書いた手紙

「『広島に妙なのが落ちたけん、ここも危なかぞ』。夫や兄に言われ、1945年8月8日、諫早行きの汽車に乗った。千代子さんはあの日、あの家で亡くなった」

 記者の曽祖母、小林コフヂが生前、子どもたちに伝えていた話。コフヂの娘にあたる祖母、池田壽美子(79)も記者が小学生の頃からよく聞かせてくれた。「そういえば-」。今年に入り、祖母が1通の手紙を見せてくれたのをきっかけに、祖母や親戚に話を聞いてみた。すると、78年前の「あの日」を境に運命を分けた家族の物語が秘められていた。

◎義姉の手紙       
 コフヂは1945年当時、長崎県長崎市山里町(現在の長崎原爆資料館付近)に夫の巽(たつみ)と1歳9カ月の壽美子、兄の宮﨑與(あたえ)、その妻、千代子の5人で暮らしていた。コフヂは壽美子と佐賀県白石町の巽の実家によく行っていた。

家系図

 「コフヂ様 毎日御暑いことですね。御無沙汰しておりますが、御元気ですか。私どもも毎日相変わらず過ごしております。(中略)一昨日休日には、小林様が貴女を連れに行くと申して出掛けられましたが、思いが通りませんでしたね。何時も口くせのように貴女を呼び、死ぬときは一処だとよく云(い)われます。余程(よほど)ご不自由の事と思います。」

 原爆投下の10日前に書かれた45年7月31日付の千代子からの手紙だ。戦況が悪化し、死を意識した巽の様子を伝えようと、千代子はコフヂに手紙をしたためた。わずか10日後、自身の運命が変わるとも思っていなかっただろう。
 
「出来れば今一度参られませんか。」
 
 手紙を読んだコフヂは、すぐさま壽美子を連れて夫の実家から長崎の自宅に向かった。

◎生死の分かれ目
 山里町の自宅に戻ったのは1945年8月初め。再会を喜んだのもつかの間。岩瀬道町の三菱長崎造船所向島診療所の医療助手だった夫の巽が、広島原爆のうわさを聞き付けたのだ。

 「広島に妙なのが落ちた。兵器製作所がある長崎にいては危険だ」。諫早市の実家に帰るよう、巽はコフヂを促した。警察官だった兄の與は切符をすぐ用意してくれた。8日、コフヂは壽美子を抱いて汽車に乗り、諫早へ向かった。

 9日午前11時2分、長崎に原爆が投下された。コフヂと壽美子は諫早に、巽は向島診療所に、與は大波止にいたとみられる。

 長崎原爆戦災誌によると、爆心地から30~500メートルの山里町は原爆で建物は全壊、全焼した。世帯全員の構成が判明した522世帯のうち、1500人以上が犠牲となった。「見わたす限り、一軒の家もない。全くの焦土で、どこか他国に迷い込んだようだ」。同誌に記された被爆翌日の惨状。一瞬で消えた爆心直下の町に家族5人のうち千代子だけがいた。

被爆直後の山里町(長崎平和推進協会写真資料調査部会提供)

 その後、自宅とおぼしき家に戻った與は、変わり果てた千代子の姿を見つけた。炊事場で火を起こそうと、しゃがんだ姿で焼け死んでいた。自宅で昼食の準備をしようとしていたのだろうか。その骨を一斗缶に入れ、背負って諫早の実家に戻ったという。

◎託されたもの
 9日以降、巽は向島診療所や三菱長崎兵器製作所大橋工場で、被爆したけが人の応急処置に奔走。その後、コフヂと共に諫早市内に家を構えた。與は巽夫妻の近所で新たな家族をもうけた。巽は休日になると、與のもとに囲碁を打ちに行った。

 「千代子さんは産婆でね。子どもが大好きだった」「(與との間に)子どもがいなかった分、壽美子をわが子のようにかわいがり、いつも風呂場できれいに洗ってくれた」

 コフヂは壽美子が成長するにつれ、事あるごとに千代子にまつわる思い出を語った。中でも大切にしていたのが、長崎原爆の10日前に書かれた手紙。コフヂにとって「千代子さんの形見」だ。亡くなる間際、千代子を“知る”壽美子に託した。
     
 手紙は78年前の8月8日、記者の曽祖母、コフヂら家族5人全員が爆心直下の町にそろうきっかけになり、今もまた、当時をたどるきっかけになっている。祖母の壽美子以外の家族は既にこの世を去っている。

 「もしあの日、母が諫早に行く決断をしなければ、私はこの世にいない。たったの1日で命拾いした」。祖母は1日違いで生死を分けた家族に思いを寄せて、こう続けた。「母は命だけでなく、千代子さんの記憶をつないでくれた」

 祖母の言葉は、記者自身にも当てはまる。そう思うと、改めて自らの命の重みを感じる。「つないでもらった命の中で、一家の物語の記憶を紡ぐ」。祖母から預かった手紙を大切に保管していこう。そう決意した。

長崎原爆の10日前、曽祖母に送られた手紙を祖母(左)に話を聞きながら読む記者=諫早市内

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