焼け野原になった広島で開いた小さな生花店 姉の思いを受け継いで営む93歳の男性 広島・寺町

原爆で焼け野原になった広島に店を構えた小さな生花店があります。被爆から78年、店を開いた姉の遺志を継いだ93歳の弟が今も営んでいます。

フラワーショップやまや 八崎眞 さん
「花っていうのあれでしょ、色合わせとかね感性の問題だからね。おもしろいよ」

広島市中区寺町にある「フラワーショップやまや」の店主、八崎眞さん(93)です。15歳のときに被爆しました。

寺町はその名の通り、約20の寺が並んでいます。78年前、焼け野原に寺が並ぶこの地域で自然といくつかの生花店が始まったといいます。八崎さんが営む生花店もその一つで被爆した姉・良江さんが開いたものです。

良江さんは2004年に亡くなる1年前まで店に立ち続けたといいます。良江さんが亡くなった後は、10年以上、店は閉じられていました。しかし5年前、八崎さんの妻・キセ子さん(86)が店の再開を提案しました。

八崎キセ子 さん
「(義姉が)息を引き取る前に『あんた、ちょっとおいで』言うて、『店をやるんよ』と言うてくださった、私に。夫は弟、私は嫁なのにね、後継いでねって」

2人が元気なうちにと店の再開を決めました。再び店が開くと、古くからのお客にも喜ばれたそうです。

フラワーショップやまや 八崎眞 さん
「私が小さいときに来たんよーいうようなお客さんが。二代から三代くらいになるようなね。お父さんがここ来て買えよって言われて来たんだとか」

爆心地から約1キロ。寺町に並ぶ墓には8月6日の文字が並びます。ことしの「原爆の日」にも生花店には先祖の墓を参るお客が訪れていました。東京から帰省した女性は小学校以来の来店です。

東京から帰省した女性
「祖母の実家のお墓に来ました」

八崎さん
「すぐお墓参りされる? じゃあ、お線香に火をつけてあげるね」

線香は八崎さんからのサービスです。

フラワーショップやまや 八崎眞 さん
「ここお花屋さん始めて、原爆の日は(式典には)参加できんがね、当時の情景とそれとテレビで見てね、当時の思い出をそうだったねって」

八崎キセ子 さん
「世の中に恩返しですよ。周りはみんな原爆にあっとるんですから」

八崎眞 さん
「これで飯食わんといけんいうことではないんじゃけんね。家賃がただで、人件費はただでね。ここ決算しよるけどね、毎年、赤字よね」

八崎さんは、生花店を営むこの5年をこう振り返ります。

フラワーショップやまや 八崎眞 さん
「(墓参りで)先祖を大事にする親を大事にする習慣が昔からある。子どもや孫が。花はそれに伴う商売でしょ。そういう意味ではね、ええ商売じゃし、いい毎日いうことよね。ありがたい毎日いうことよね。それも姉さんが花屋をやれいうことからその道に入っとるわけじゃけんね」

八崎さんはいずれ、長男に店を引き継ぎたいといいます。小さな生花店の歴史も紡がれていきます。

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