高岡生んだ利長、育てた利常知る 富山新聞文化センター高岡でふるさと探訪講座

利長や利常の功績について語る仁ヶ竹主幹=富山新聞高岡会館

  ●市立博物館仁ケ竹主幹が解説

 富山新聞文化センターのふるさと探訪シリーズ講座「加賀藩・富山藩を知る 越中編」第3回は12日、富山新聞高岡会館で開かれ、高岡市立博物館主幹の仁ケ竹亮介氏が高岡の「生みの親」である加賀藩前田家2代前田利長と「育ての親」である利常の功績を紹介した。富山、石川の約70人が商都として栄えるまでの町の歴史を学んだ。

 「高岡開町ストーリー 利長と利常」と題して講演した。

 利長は最晩年、「関野(せきの)」と呼ばれた土地を高岡と名付け、高岡城を築城した。仁ケ竹氏は高岡が選ばれた理由について、隠居後も利常の代わりに藩政の実権を握った利長にとって、加賀藩の中心に位置し、水陸の物流拠点でもあった高岡は政治だけでなく、軍事、経済面でも重要だったと解説した。

 利長は豊臣家や徳川家に配慮しながらうまく家督継承や築城を行い、前田家の存続を図ったとし、利長死後は利常が高岡城の設備を温存し、経済的に高岡を手厚く保護したと説明した。

 仁ケ竹氏は「利長は藩内の多くの命や財産を救った優れたリーダー。利常は跡継ぎが早世し不安だった中で、利長の偉大さを理解したのではないのではないか」と語った。

 高岡古城公園となっている国史跡・高岡城跡は築城時の区画や水堀がそのままの形で現存しており、全国の城郭専門家が高く評価している点を挙げ、「城で大事なのは天守閣ではなく、郭や堀など土木工事の工夫の痕跡だ」と強調した。

 受講した高岡市の宮田やすこさん(72)は「高岡に天守閣が無いことは残念だと思っていたが、防御機能が備わった立派な城だと分かり郷土愛が深まった」と話した。

 次回は9月2日に行われ、石川県近世史料編さん室長の木越隆三氏が「徹底解説『改作法』 越中を中心に~利常が断行した画期的な農政システム」をテーマに語る。問い合わせ、申し込みは富山新聞文化センター高岡本部=0766(26)7000=まで。

© 株式会社北國新聞社