野津原の井路開削、工藤三助たたえ「三助おどり」誕生 19日の祭りで披露【大分県】

祭りでのお披露目に向けて「三助おどり」の練習に励む湛水の住民=大分市上詰

 【大分】江戸時代、大分市野津原地区を通る鑰小野(かぎおの)(現・世利川)井路などを開削した工藤三助(1661~1758年)。同地区内上詰(かみつめ)の湛水(たまりみず)集落では偉業をしのんで、毎年夏に「三助祭り」を開いている。野津原出身の男性(99)が三助と祭りを題材に詩を作ったのをきっかけに、人と人の巡り合わせで「三助おどり」が誕生した。19日の祭りでお披露目する。

 詩の作者は佐藤源治さん(同市下郡)。2020年まで野津原に住み、文化財調査委員やガイドボランティア活動に長年携わった。活動する中で、三助が開削に苦労したことや湛水で祭りが開かれていることを知り、詩にしたため、本紙の読者文芸欄に掲載された(21年7月26日付)。

 作曲したのは、趣味で曲作りをする渕祐一さん(71)=同市中津留。新聞に載った佐藤さんの詩が目に留まり、ピアノ教室の講師の深田宏一さん(64)=別府市浜町=に編曲を依頼。出来上がった歌をCDにして今年、佐藤さんと野津原公民館に贈った。

 その後、同公民館が3月発行の広報誌で、三助の創作曲の生みの親として佐藤さんを紹介した。

 湛水は三助の功績をたたえる「三渠碑(さんきょひ)」(石碑)もある土地柄。祭りでは三助をしのんで「炭坑節」や「チキリンばやし」を踊っている。「三助にちなんだ踊りができたら」。かねがね思っていた住民の秦雅敏さん(70)が広報誌の記事を目にし、歌入りのCDも入手できたことから振り付けのたたき台を考案。女性陣と修正を重ねて完成させた。

 湛水は農業をしている人がほとんどという。秦さんは「稲穂の広がる景色を当たり前のように見られるのも水路があるからこそ。皆さんのおかげで祭りにふさわしい踊りができ、ありがたい限り」と感謝した。

 岩を砕いて運ぶ、水が岩をくぐる、稲穂が揺れる―といった所作を取り入れ、覚えやすい振り付け。

 佐藤さんは「曲をつけてもらっただけでもうれしいのに踊りまでできて光栄。三助さんもきっと喜んでくれると思う」と声を弾ませた。

<メモ>

 工藤三助は大分郡谷村手永(てなが)(現在の由布市挾間町)で、代々総庄屋を務めていた家に生まれた。農地の水が足りず苦しんでいた山間地域のため、私財を投じて現在の大分、由布、竹田の3市を通る三つの井路開削に生涯をささげた。

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