海に沈んだ軍人・軍属36万人、大戦戦死者の15.6% 父失った舘浦さん(青森・弘前市)「戦争は悲惨」 #戦争の記憶

父・善治さんの生前に撮影した家族写真を眺める善清さん=7日、弘前市

 ミサイルや大砲、銃弾が飛び交う戦場…。戦争にまつわる一般的なイメージとは裏腹に、78年前に終わった第2次世界大戦では、実戦以外の場で大勢の兵士が死んだ。餓死や戦病死と並び、海上輸送などの途上で潜水艦や航空機の攻撃を受け艦船とともに海に沈む「海没死」で命を落とした人も多い。海没死した軍人・軍属は実に約35万8千人。大勢の人々が無残な死へと追いやられた事実に弘前市の遺族は「戦争ほど悲惨なものはない」と語る。

 同市岩木地区の自宅で、岩木遺族会長の舘浦善清(よしきよ)さん(82)が一枚の手紙を広げた。

 「これが親父の最後の手紙です。『いよいよ今度(戦地に)出発することになりました』『(行き先は)ずいぶん危険という話です』と書いてあります」

 陸軍軍人だった父・善治(ぜんじ)さん(享年28)が駐在していた広島市から家族に宛てた手紙だ。

 善治さんは1944年11月15日、長崎県五島沖海上で、輸送船で沖縄に向かっていたところ、米軍の潜水艦による魚雷攻撃を受けて船が沈み命を落とした。

 善治さんが亡くなった時、善清さんはわずか3歳。末妹をおなかに宿していた母と1歳の妹がいた。

 父の記憶はほとんどない。覚えているのは兵営にいた父との面会で馬に乗せられ、怖くて泣いたことぐらいだ。

 旧海軍軍人がまとめた「太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑」(77年発行)によると、艦船とともに海に沈んだ兵士は陸軍17万6千人、海軍18万2千人。戦死した軍人・軍属230万人のうち実に15.6%。同書は「用兵作戦の無理もあって、死なずともよい人々が死んだ」と嘆いた。

 海没死は戦局の転換点となったミッドウェーとガダルカナル島の戦い以降に急増。制空権、制海権を失い補給路を断たれた旧日本軍は海上で多くの人命を無駄にした。

 終戦70周年を迎えた2015年、日本遺族会主催の洋上慰霊に参加した善清さんは、父が没した東シナ海沖で手を合わせた。「一面が広大な海で、表面は波が高く鉛色をしていた。ここで船が沈んだらどうしようもないだろうと思った」

 善清さんは政府の親善事業でニューギニアやフィリピンなどかつての戦地を訪ねる機会があった。現地の人々は戦争については話したがらず、彼らも悲惨な目に遭ったと感じた。善清さんは「戦争は駄目だ。そうなる前に話し合いで解決の道を探るべきだ」と力を込めた。

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