社説:終戦の日に<下> 「大政翼賛会」にならぬよう

 記者席からは、書類を持つ手が震えているように見えた。

 「今回の審議がどうぞ再び大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをしたい」。1997年の国会で、京都選出の野中広務氏が刺すような高い声を張り上げた。

 米軍用地の継続使用手続きを簡素化する法改正が、野党が加わり圧倒的多数で可決されたことに対する怒りだった。法改正を審議した衆院の特別委員長として、経過報告の中で言い放った。

 「国会が僅差で可決するくらいの緊張感をみせ、沖縄の厳しい基地への思いを米国に表すべきだと思っていた」。随分あとに、本意を聞いたことがある。

 野中氏ら戦争を知る世代が去り、あれから四半世紀を経た国会のありさまに、今も耳底に残る言葉が重く響く。軍部のいいなりになった翼賛政治と同一視するつもりはないが、たるんだ「論なき政治」を憂慮する。

 岸田文雄政権が反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や防衛費倍増などを決めた後、初の論戦となった先の通常国会は行政の追認機関かと見まがった。

 反撃能力は、米国が攻撃を受けた際も集団的自衛権として行使され得るのか。自衛隊が実質的に米軍傘下に入る事態にならないか。そもそも他国への武力行使が憲法上許されるのか。

 幾つも重大な論点があったのに、事前審査で政府と意見を調整する与党は、国会で踏み込まない。野党はばらばらに質問をし、岸田氏は「手の内は明かせない」とかわし続けた。

 「二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー」との一面的な方便で押し切ったのは、国民の6割超が反対する新増設や運転延長など「原発の最大限活用」を進める関連法だ。日本維新の会など野党の一部も賛成した。

 安倍晋三政権以来、本来は行政の意思表示にすぎない閣議決定の重みが増した。唯一の立法府で「国権の最高機関」が、国民の疑問や不安をくみ、行政をただすことをしないからだ。

 政治への不信や冷笑は高まり、民主主義を危機に追いやっている。衆参院選とも5割台にとどまる投票率が証左だろう。

 与野党の国会議員は立法府再生が急務だ。与党は事前審査にとどまらず、国会で言葉を紡ぐ力を磨いてほしい。形だけの法案修正で、巨大与党に抱きつくなら野党は多弱にとどまろう。

 ロシアや中国の専横に対し、日本や欧米がよりどころにするのは平和と民主主義の価値にほかなるまい。なかんずく先の大戦で国内のみならず、アジアの国々も含め甚大な犠牲の上に、不戦の憲法を成立させて78年間守ってきた日本である。

 国会と内閣の熟議で民主主義を築く。力と力がぶつかる国際社会で唯一無二の平和外交を尽くす―。道を誤った歴史を鑑(かがみ)に、それを求め続け得るのは私たち主権者しかない。

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