高齢化で鳴らない“平和の鐘” 台風で失われる“戦争資料”「伝えていくのが難しい」【戦後78年「つなぐつながる」④】

シリーズでお伝えしてきた戦後78年「つなぐ つながる」。8月15日は、78回目の「終戦の日」です。このシリーズを通じてわたしたちがいま、改めて感じているのは、静岡県も経験した戦争という凄惨な体験の継承の難しさです。戦争体験者の高齢化、新型コロナ、意外なところでは台風の被害、これらすべてが戦争体験をつなぐことを困難にさせていました。

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「終戦の日」の8月15日、静岡市駿河区グランシップで開かれた戦没者の追悼式典。台風7号の接近を考慮し、遺族や一般市民の参列を中止とし、規模を縮小して20人程度での開催となりました。

約1万6,000人とされている静岡市の戦没者。参列者の数は2005年の815人が最多ですが、戦争体験者や遺族の高齢化などによって年々、参加者が減っているのが実情です。

静岡県牧之原市の公民館の敷地にある年季の入った鐘。8月15日は、この鐘を鳴らし、平和を願うのが恒例でしたが、2023年は実施されません。

<牧之原区 大崎信博区長>
「ここが海軍の大井航空隊の正門があったところ」

一面に茶畑が広がる牧之原台地。戦時中、ここに日本海軍の飛行場がありました。「大井海軍航空隊」。この場所では、主に若者を対象とした飛行訓練が行われていましたが、戦局が悪化すると自爆を前提に敵に飛行機ごと突っ込む「特攻」のための訓練も行われました。

「カーン、カーン」

2017年に開かれた集い。元隊員たちは毎年、終戦の日に集まり、仲間の慰霊と平和への願いを込めて、「時鐘」として使っていた鐘を鳴らしました。

しかし、新型コロナが流行した2020年から2022年までの3年間、中止を余儀なくされました。2023年は再開する予定でしたがー

<牧之原区 大崎信博区長>
「ここ3年、コロナでやっていなかった。隊員の方が高齢になられて、90歳を超えていて、ここに来て下さる方もほとんどない」

実は、最後に開催された2019年の元隊員の参加はたった1人。現在、このイベントを主催する牧之原区の区長は元隊員の参加者を探しましたが、1人も集まらず、2023年の中止を決めました。

<牧之原区 大崎信博区長>
「来て頂けるんならやりたい。でも現実的には足腰が弱って、体力も衰えて、そういう人たちに案内を出して、本人が『俺は行きたい』と家族に伝えた時の家族の悩みとか、そういったことも(考えると)安易に案内を出してはいけないという、もどかしさがあった」

戦争を体験した元隊員が地元の子どもたちに平和の尊さを伝え、平和を願って一緒に鐘を鳴らしたこの集い。戦後78年、元隊員が残した言葉が重みを増します。

<大井海軍航空隊元隊員 吉田秀雄さん(当時92)>
「平凡に何の心配もなく、過ごせていけることが平和なんだよ。だから、うれしいんだよね。みなが鐘をついていることがね…」

戦争体験者の高齢化、新型コロナ、そして、台風の被害によっても失われそうになった戦争の記録があります。

2022年9月の台風15号で静岡市立南部図書館の地下倉庫が浸水しました。

<静岡平和資料センター 田中文雄センター長>
「1番(水が)あったときは60センチくらい。このくらいまでは浸かっていた」

図書館に保管されていた貴重な戦争資料の一部が水に浸かってしまったのです。戦時中の遺品やセンターが作成した資料などが廃棄を余儀なくされました。

<静岡平和資料センター 田中文雄センター長>
「次の段階で、救えるものは救おうと頭を切り替えた」

静岡県内の戦争の記録を管理する静岡平和資料センターの田中文雄センター長は、復旧できる資料があると考えました。文化財を守るNPO法人の代表・友田千恵さんたちは復旧作業を手伝いました。

<NPO文化財を守る会 友田千恵理事長>
Q復旧具合はどうですか?
「これに関しては比較的、上手にはがれて、上手く乾燥までできたと思う」

汚れた資料を水洗いし、消毒。乾燥させることで多くの資料を廃棄の危機から救いました。

<NPO文化財を守る会 友田千恵理事長>
「私の夫はアメリカ人なんです。子どもは日本とアメリカの間に生まれているので、そういう歴史をどういうふうに伝えていくのか、すごく難しいけれど、こういう資料があることによって、『こんなことがあったんだよ』と、実際に近くに感じることができる」

田中さんがセンター長をつとめる静岡平和資料センターには、家で保管しきれなくなった戦争に関する資料がいまも寄贈されます。

<静岡平和資料センター 田中文雄センター長>
「これがね、最近寄贈を受けたものなんですが、当時、奉公袋という形で色々なものをこの中に収めている」

そこには戦時中を生きた人の人生が詰まっています。

<静岡平和資料センター 田中文雄センター長>
「この方は色々なことを準備していた。これは遺髪、遺爪。ちゃんとこういうふうに準備して、向こう(戦場)で亡くなったら、遺体も分からないだろうから、と」

戦争体験者の生の声を聞くことは年々難しくなっていますが、ここ静岡県でも戦争によって命が失われ、人々の生活が制約されたという事実は忘れてはいけません。

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