「戦争はやっちゃいかん」真の終戦に県民の助けが…知られざる「緑十字機」を紙芝居で後世に【現場から、】

8月15日は「終戦の日」でしたが、正式に戦争が終結したのは「降伏文書」に調印した9月2日です。その降伏文書を運ぶ使命を与えられていたのが、「緑十字機」。しかし、沖縄から東京に向かう途中、燃料不足で現在の静岡県磐田市の鮫島海岸に不時着します。この緊急事態を救ったのが、地元の住民だったというあまり知られていない事実を次の世代に伝えるための紙芝居がこのほど、完成しました。

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<紙芝居朗読>
「下に砂浜があるぞ。そこに不時着するぞ!けがするな!」

磐田市のこども園では、戦争をテーマにした紙芝居の読み聞かせが行われていました。

<紙芝居朗読>
「がんばれ!白いハト!無事にな!」
「白いハトは、東へ東へと飛び続けました」

「白いハト」。緑の十字が刻まれた白い飛行機=「緑十字機」が、この紙芝居の題材になっています。

描がかれているのは、昭和天皇が敗戦を国民に伝えた8月15日のすぐ後の話。日本が“真の終戦”にたどり着くまでの過程です。

磐田市鮫島に住む、鈴木邦夫さん(95)。紙芝居作成のため、証言を提供した人物のひとりです。

1945年8月20日。緑十字機は正式な終戦手続きに必要な「降伏文書」を沖縄から東京方面に運ぶという重大な任務を背負っていました。しかし、燃料切れで現在の磐田市の鮫島海岸に不時着してしまいます。

「文書が届かなけば、戦争が終わらないかもしれない」

乗っていた日本陸軍や海軍の責任者たちは、不慮の事態をすぐに報告する必要がありました。

<鈴木邦夫さん>
「(当時、軍人たちは)緊張していた。うまく連絡がとれるかどうかわからないので、安心感はなかった」

「どんな任務を背負っているのか」、詳しい事情は知らされなかった住民たちですが、軍人たちをいち早く東京に帰すため、道案内や荷物の運搬の手助けをします。当時17歳だった鈴木さんは、軍人たちを電話のある場所に案内しました。

<鈴木邦夫さん>
「何か重大なことが起きているんだなという気がして、何か言ったものに対してどんどんどんどん協力しないといけないという考えだった」

こうした支援の結果、軍人たちは別の飛行機に乗って無事に東京方面へ到着し、9月2日の「降伏文書の調印」へとつながります。つまり、いまに続く日本の平和には、鮫島の住民たちの尽力が欠かせなかったのです。

一方で、この体験をした人で鮫島地区で健在なのは鈴木さんのみ。「先人の功績をどう語り継いでいくか」は大きな課題です。

同じ鮫島に住む三浦晴男さん(74)は、この状況に危機感を覚え、紙芝居を制作しました。

<三浦晴男さん>
「自分たちの住んでいるところにこんな大きな歴史があったんだよと、平和の原点になったことがあるんだよと、それを誇りに思っていただけようになってほしい」

これまで、鮫島海岸にこの出来事を伝える碑を設置するなど、伝承に取り組む中で活動の広がりに限界を感じていた三浦さん。若い人にも知ってもらいたいと、市内すべての幼稚園や保育園に配れる数の紙芝居の制作を決意しましたが、大きな壁に直面します。印刷や製本にかかる「資金集め」です。

三浦さんの知人・山中德一さん(82)。三浦さんは、山中さんをはじめとする知人のもとや地元の金融機関に足しげく通って寄付を募りました。

<山中德一さん(82)>
Q.寄付をした理由は?
「(三浦さんは)平和を願っていて、この出来事をほかの人にもわかってほしいという熱意があった」

「日本の平和を守った磐田の出来事を必ず後世へ」

三浦さんが制作をあきらめなかった理由です。

<三浦晴男さん>
「人生の中のひとつの大きな仕事ができた。この先100年伝える手段になれると思う」

三浦さんの思いは、着実に次の世代の人たちにも届いています。

<紙芝居朗読>
「静かな海でも昔、大変なことがあったんだね、じいじ」
「うん、お前たちが大きくなっても平和で静かな海だといいね」

<4歳児の母親>
「(子どもも)真剣に聞いていたので伝わったと思う。(子どもに)昔の人が頑張ってくれたおかげで、いまの平和があるというのを感じてほしい」

地元を愛する気持ちが詰まった緑十字機の紙芝居。その制作に携わった人たちが望むのは、戦いを終わらせる必要のない、“戦争の始まらない世界”です。

<鈴木邦夫さん>
「(戦争で)同級生が何人死んだか。戦争はやっちゃいかんよ。やっちゃいかん」

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