「まだ描いてほしかった」 19日死去のアニメ映画美術家 山本二三さん 故郷・五島から惜しむ声

地元の小学生とスケッチを楽しむ山本さん(右)=2014年8月、五島市

 19日に70歳で死去した長崎県五島市出身のアニメーション映画美術家、山本二三さんは数々のジブリ作品の背景画を手がけたほか、故郷五島列島を題材にした作品を残した。気さくな人柄で親しまれ、関係者からは21日、惜しむ声が相次いだ。
 「まだ作品を残したかっただろう」。弟の八郎さん(66)=同市野々切町=は思いやった。今月初旬の面会が最後だった。病気で思うように体が動かない歯がゆさを抱えながらも「まだまだ描きたい」と意欲を見せたという。「家族や仲間思いの兄。『お疲れさま。よく頑張った』と言いたい」
 幼なじみの松野音幸さん(69)=同=は、子どもの頃から絵が得意な山本さんの姿を思い浮かべる。いつまでも朴訥(ぼくとつ)で誠実な人柄は変わらなかった。

五島百景《高浜と頓泊》(福江島)2016年 ©山本二三

 15歳で五島を離れ、2010年からライフワークとして手がけたのが「五島百景」。多忙な仕事の合間を縫って五島列島を訪れ、約10年かけて100枚の作品を描いた。「古里を愛する気持ちで、島の風景を未来に残したかったのだろう」とし、「まだ描いてほしかったので残念。(天国でも)好きな絵を描いてほしい」。18年に同市で開館した山本二三美術館の戸村浩志館長(63)は「これまで以上に先生の作品の魅力を伝えたい」とした。
 若い世代の育成にも関心を寄せていた。五島市では絵画教室や写生会などで地元の小中学生と交流。13年には県美術館などによる日韓文化交流事業で釜山市に渡り、現地の中高生に代名詞とも言える「二三雲」の表現技法を指導。同館エデュケーターの守屋聡さん(47)は「とても熱心に教えていただいた。『健やかに学んでいますね』と子どもたちに温かいまなざしを注いでいた」と人柄をしのんだ。
 スタジオジブリのスタジオ学芸室制作プロデューサー、田中千義さん(59)は、ジブリ作品の「火垂るの墓」「もののけ姫」で仕事を共に。「作品のクオリティーを高めることへの責任感が強い人だった。気持ちの整理がつかず言葉にならない」と悼んだ。

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