元特攻隊員の画家・池田龍雄さん(伊万里市出身) 没後3年、自らデザインの墓石完成

池田龍雄さんの遺族や友人らが参列して納骨式が行われた=長野県軽井沢町

 岡本太郎らとともに日本の前衛芸術運動をけん引し、「アヴァンギャルドの旗手」と呼ばれた伊万里市出身の画家、池田龍雄さん(1928~2020年)が最後の作品として手がけたオブジェ、自らの墓石が完成し、21日、アトリエを構えていた長野県で遺族や友人に見守られながら納骨された。元特攻隊員の経験から反戦・反権力を貫いた70年に及ぶ創作人生が、没後3年の節目に完結した。

 最後のオブジェは、六つの三角形と底面の四角形を組み合わせた七面体で、台座からわずかに浮かせてある。光沢のある青御影石製で、池田さんが悠久の時間を表現した代表作「梵天(ぼんてん)の塔」にちなんで中央に「梵」の字が、脇に池田龍雄と署名が刻まれた。

 93歳で亡くなるまでの晩年、入退院を繰り返したが、自宅に戻った折にオブジェのミニチュアを準備し、自らの墓石とするようにと家族に託していた。

 納骨式には妻の紀子さん(92)や長男の哲さん(56)ら12人が参列した。池田さんが愛した浅間山が見える墓所で、紀子さんは「見る角度によって光の反射で色が変わる。友人の彫刻家の協力で、石材屋さんが精いっぱいの仕事をしてくれた」と語った。

 池田さんは伊万里商業学校を経て、飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に入隊。特攻隊に編入され、茨城県の霞ケ浦航空隊で17歳の誕生日に終戦を迎えた。戦後は佐賀師範学校に転入して教師を目指したが、「元特攻隊員」の経歴から退学処分を受けた。単身上京して多摩造形芸術専門学校(現・多摩美術大)に入り、この頃から岡本太郎らのアヴァンギャルド芸術運動に身を投じた。

 9月6日からは佐賀市の佐賀県立美術館で、没後初の回顧展が開かれる。同館は佐賀師範学校の跡地に立地しており、哲さんは「佐賀では初めての個展で、きっと本人も喜んでいるでしょう」と期待を寄せる。(古賀史生)

 「あそび、たたかうアーティスト-池田龍雄」(主催・佐賀県立美術館、後援・佐賀新聞社など)は9月6日から10月29日まで、同館で。最初期の作品から代表作、子ども向け絵本の挿絵などで生涯をたどる。

池田龍雄さんが自らデザインした墓石=長野県軽井沢町

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