ふたつの原爆 搭乗員の孫が見たヒロシマとナガサキ

広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」。

長崎を襲った「ボックス・カー」。

2機の爆撃機に搭乗していた、ただ1人の軍人ジェイコブ・ビーザーさん。

あの日から78年。原爆ドームの前を流れる元安川では、灯籠の明かりが揺れていました。

ジェイコブさんの孫のアリ・ビーザーさんです。

■アリ・ビーザーさん

「今、強く平和を感じています。ここでは恐ろしい出来事があってたくさんの人が亡くなりましたが、今はとても美しい光景です。」

ふたつの被爆地を訪れ始めて、10年余りになります。

■アリ・ビーザーさん

「僕がここにいることは、運命だと思っています。」

軍の中尉だった祖父のジェイコブさんは、広島と長崎への原爆投下作戦に参加。任務は、空中で原爆を爆発させ、威力を最大限に発揮させることでした。

アリさんを抱く祖父。この4年後になくなったため、その記憶はほとんどありません。そして学校では、原爆投下の正当性を唱える教育を受けてきました。

■アリ・ビーザーさん

「小学校の先生に『アリくん、あなたの祖父が何をしたかみんな知っている。戦争を早く終わらせるための作戦に加わったんです』と言われました。そのとき6歳だったから、それ以上は言われませんでした。」

原爆とのかかわりを意識し始めた青年が広島を最初に訪れたのは、2011年でした。

■アリ・ビーザーさん

「アメリカでは(原爆について)教科書でたった1ページ読むだけで、それはあまりにも単純でした。キノコ雲の下で何があったのか理解するために、被爆者に会いたかったのです。」

映像作家となったアリさんは、広島と長崎の多くの被爆者への取材を重ねてきました。

そして2016年、被爆者の証言を集めたドキュメンタリー作品を発表します。

8月6日、アリさんは、友人とともに平和公園を訪れていました。

向かったのは、原爆でなくなった韓国人を弔う慰霊碑です。

■アリ・ビーザーさん

「彼は僕にとって本当に特別な人で、大切な被爆証言者です。」

アリさんが慕う李鍾根さんは、在日韓国人2世の被爆者です。閃光に焼かれたのは16歳の時。その体験を各地で語ってきました。2013年に2人は出会いました。

■アリ・ビーザーさん

「彼は家族みたい」

アリさんは、ドキュメンタリー作品の中に李さんの証言を収めました。

李さんは去年7月、93歳で息を引き取ります。

■アリ・ビーザーさん

「これまで話を聞いてきた被爆者の多くは、もうこの世にいません。世界を救うための大切な声が失われています。過去の過ちを忘れたら、再び同じことが起こってしまいます。」

もうひとつの被爆地・長崎の8月9日。台風接近に伴い、平和祈念式典は規模を縮小していました。

原爆死没者19万人余りの名簿を収める国立追悼祈念館。

そこに、アリさんの姿がありました。

被爆3世の原田小鈴さんと、長男の晋之介さんも一緒です。

祖父の山口彊さんは、広島と長崎で被爆し「二重被爆者」と呼ばれます。熱線に左半身を焼かれながら戦後を生き抜き、2010年に93歳でなくなりました。彊さんの死後、原田さんは、その体験を紙芝居にして語り継いできました。

2013年、アリさんは彊さんの体験を聞くため、原田さんのもとを訪ねました。

二度キノコ雲を見たアメリカ人の孫と、二重被爆者の孫。交流は10年余りに及びます。

■アリ・ビーザーさん

「僕は小鈴さんと共にいつか広島と長崎の架け橋となり、未来により強いメッセージを発信したい。」

■被爆三世 原田小鈴さん

「アリが広島長崎に来てくれるというのはすごく大きな発信力にもなるし、核廃絶と被爆したらどのように人間に被害をもたらすか、2人が一緒に発信することが大きな意味がある」

原爆の日に、ふたつの被爆地の風に吹かれたアリさんが灯籠に込めた願いとは…。

■アリ・ビーザーさん

「世界が分断されている今こそ、僕たちには平和を築く責任があるし、境遇が異なる人の声にも耳を傾けなければなりません。お互いによりよい関係を築くために、僕たちは最善を尽くさなければなりません。もし誰か1人でも僕の思いを受け取ってくれたら世界が変わるかもしれません。」

約5000の灯火が川面に浮かんだ被爆地・ヒロシマの夜。そのひとつには、原爆を落とした国と落とされた国の狭間で平和の意味を問い続ける1人のアメリカ人の覚悟が、込められていました。

【2023年8月22日放送】

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