「社会に貢献したい」戦争で手足を失ったウクライナ兵たちの新たな挑戦 義足のリハビリ、車いすバスケ「何かできるという気持ちが心を落ち着かせる」

キーウのリハビリセンター「ベズ・オブメジェニ」で歩行訓練する男性=7月(共同)

 ロシアがウクライナに侵攻してから1年半が経過した。戦闘に終わりが見えない中、両軍の死傷者は米当局者の推計で計約50万人に上る。双方とも死傷者数を公表しておらず、あくまで推計だが、ウクライナ側では約7万人が死亡したとされる。各地で新たな墓地が整備され、真新しい若者たちの写真が飾られる墓を見ると、数字の裏に一人一人の人生があったと思い知らされる。

 一方、ウクライナ側の負傷者は10万~12万人。手足を失った兵士も多く、義肢の需要が急増、首都キーウ(キエフ)で義肢を製作するリハビリセンターでは、新規患者が侵攻前の約1・5倍になった。「スポーツでウクライナに貢献したい」「義足ができたら再び前線に行く」。リハビリの理由はさまざまだが、共通するのはウクライナ社会に貢献したいという思いだ。負傷兵たちの新たな「闘い」を追った。(共同通信=平野雄吾、永田潤、深井洋平)

 ▽「前線に戻って故郷を取り返す」
 7月下旬、キーウのリハビリセンター「ベズ・オブメジェニ」。ウクライナ語で「限界はない」という意味の施設で、義肢装具士ウォロディミル・フェドロフさん(69)は歩行訓練用の手すりを使い義足でゆっくりと歩く男性らを見つめていた。

 フェドロフさんのキャリアは44年。「脚を切ったばかりだと義足の調整が大変なんだ。この仕事は技術や知識に加え、勘も必要だよ」と胸を張る。患者は1~6カ月間、リハビリを続け、この間に傷口も周囲の筋肉も変化するため、細かいサイズ調整が必要になるという。

義足の調整をするウォロディミル・フェドロフさん=7月、キーウ(共同)

 現在、このセンターを訪れる患者の多くは負傷兵だ。オレグ・シモロズさん(26)もその一人。東部ルガンスク州で昨年10月、運転していた装甲車が地雷を踏み、両脚を失った。意識を失って人工呼吸器を装着したものの、一命を取り留め、今年1月に義足を依頼した。

歩行訓練用の手すりをつかみ、リハビリに励むオレグ・シモロズさん=7月、キーウ(共同)

 「人生を取り戻したい」。シモロズさんは両脚のない現実にふさぎ込んだ時期もあったが「装甲車を壊す地雷でもおれを殺せなかった。そう考えれば自分は強いと思えます」と前を向く。

 「趣味のサッカーもしたいし、車の運転もしたい。目標は、足がないことを感じないようにすることです。まだこの社会に貢献できることがあると信じています」

 シモロズさんの隣でリハビリをしていたのは南部マリウポリで戦っていたアンドリーさん(51)。侵攻直後の昨年2月の空爆で、左膝から下を切断することになった。「同じ境遇の人たちがリハビリに精を出すのを見ると元気になります」と笑顔を見せながら、「義足で歩けるようになったら前線に戻ります。マリウポリはわたしの故郷なんです。ロシアから解放しなければならないんです」と熱く語った。

 リハビリセンターのアンドリー・オブチャレンコ院長によると、以前は注文から1日で完成していたが、今は順番待ちのため2週間要することもある。「患者には前線に戻る負傷兵も多くいます。ただ普通の生活を送るだけなら3Dプリンター製作の義足でもよいけれど、ここでは石こうを12層にして頑丈な義足を作っているんです。地雷を踏んでも壊れなかった義足もあります」

 「毎日残業が続く」と冗談交じりに話す義肢装具士のフェドロフさんは「義足を使えるようになったときの患者の笑顔を見たいんだ」とにやり。オブチャレンコさんも「義足を着けると、足を失った負傷者は安心感を得るんです。私たちは義足を作ることで、この戦争に貢献します」と力強く語った。

リハビリセンターのアンドリー・オブチャレンコ院長=7月、キーウ(共同)

 ▽日本もリハビリ施設拡充を支援
 ウクライナ西部リビウの市立病院は侵攻後、リハビリ施設を拡充した。地理的に比較的安全なため、多くの負傷者が訪れるからだ。使われていなかった建物を3カ月の突貫工事で改修、国内外の支援で最新鋭のリハビリ機器を備え、義肢の製作も開始した。市によると、現在月当たり100の義肢が製作できるが、負傷者の増加で今後国内の年間需要は約2万に上ると見込まれる。リハビリ施設の追加整備も急務で、日本赤十字社が支援する計画もある。

新たに拡充されたリビウ市立病院のリハビリ施設=7月、リビウ(共同)

 「アンブロークン(不屈)」と名付けた計画で、市などは負傷者の治療やリハビリから住居整備まで総合的な受け入れ環境づくりを推進する。市立病院の拡充計画では、侵攻当初からウクライナを支援する世界的建築家、坂茂さんが新外科病棟の設計を手がけることでも話題となった。

 リハビリ施設に通い、バレーボールなどで上半身の筋肉トレーニングをしていたのはオレクサンドル・トロチェンコさん(23)。東部ドネツク州で今年5月、ロシア軍が設置した地雷で負傷し、両脚を失った。「ショックはしばらく続きましたが、両親や医師、療法士のおかげで今は前向きにリハビリに取り組むことができます。もう前線に行かなくてもよくなり、正直ほっとしています」と本音を吐露する。元々建設作業員だったといい、「将来的には自分の建設会社をつくりたい」と戦後復興で社会貢献すると前を向く。

バレーボールを用いてリハビリに励むオレクサンドル・トロチェンコさん=7月、リビウ(共同)

 元プロバスケットボール選手のウォロディミル・ルドコフスキーさん(31)も地雷で負傷し、右足を切断した。「落ち込みましたが、死亡した仲間もいる中で、生きていることに感謝しています」と話す。娘の誕生直後に前線に赴くことになったといい、「早く普通の暮らしを取り戻して、家族との時間を大切にしたい」と力強く語った。「以前と同じように前線で戦うことはできませんが、負傷した自分にもウクライナのためにできる役割があると信じています」

負傷した仲間とリハビリに励むウォロディミル・ルドコフスキーさん(中央)=7月、リビウ(共同)

 ▽「不屈」を意味するスポーツ大会に過去最多の選手団
 増加する負傷兵の間で広まっているのがスポーツだ。同じ境遇の仲間と出会い、肉体的、精神的リハビリの場としても機能する。9月には傷病兵らによる国際スポーツ大会「インビクタス・ゲームズ」がドイツで開催される予定で、ウクライナも過去最多の選手団を派遣する。

 インビクタスとはラテン語で「不屈」の意味だ。アフガニスタンでの軍務経験があるヘンリー英王子が戦争の傷を克服する機会を提供したいと提唱、関連財団が設立され、ロンドンで2014年に初めて開催された。

 ドイツ・デュッセルドルフで9月9~16日に開催される今年は6回目。22カ国、500人超の傷病兵が参加し、車いすバスケのほか、卓球やアーチェリーなど計10種目が行われる。

 ウクライナは9種目に計25人を派遣する予定で、全員が東部で親ロ派武装勢力とウクライナ軍の戦闘が始まった2014年以降の負傷者だ。フトツァイト青年スポーツ相は「ウクライナ人の精神を見せてきてほしい」とエールを送る。

スポーツの大切さを語るアンドリー・デムチュクさん=7月、リビウ(共同)

 2016年のリオデジャネイロパラリンピックで金メダルを獲得、東京パラリンピックでも入賞した車いすフェンシングのウクライナ代表、アンドリー・デムチュクさん(35)は「喪失感を味わう負傷者にとって、新たに何かができる、何かで成功できるかもしれないとの気持ちはとても大切で、精神を落ち着かせてくれるんです」と指摘する。先天性の動静脈奇形により18歳で右足を切断したが「フェンシングが人生を変えた」と振り返る。現在、ウクライナ軍病院で負傷者に自身の経験などを伝える活動をしている。

 ▽「スポーツで気持ちは別人に」
 「負傷した身体自体は変わりませんが、気持ち的には別人になりました。同じ境遇の仲間と汗を流すと、とてもリラックスします」。キーウの体育館で実施されたインビクタス・ゲームズの車いすバスケットボールウクライナ代表の公開練習で、セメン・ラグンさん(26)が競技を始めてからの自身の変化を語った。

 従軍中の昨年8月、ドネツク州マリンカで地雷を踏み左足を負傷した。「ロシア軍の激しい攻撃で、地雷に気を配る余裕はありませんでした」と振り返る。切断は免れたが神経を損傷し、歩けるものの、走るのは不可能になった。

 転機が訪れたのは今年4月。リビウで偶然、車いすバスケの試合を目撃した。学生時代にバスケの経験があった。楽しそうにプレーする選手たちの様子を見て挑戦を決めたと笑顔を見せる。

 ラグンさんは負傷した当初「足を切断すれば義足を着けて早く前線に戻れるのではないか」と考えたという。しかし、今は足を切断しない選択をした医師に感謝する。「代表チームに選ばれたことで、今はウクライナのために何かできるという喜びを感じています。ドイツでは多くの人に出会うと思うんです。これまでのさまざまなウクライナ支援に感謝の気持ちを伝えてきます」

練習試合に参加し、ボールを持つセメン・ラグンさん=7月、キーウ(共同)

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