「どうやって東京まで行ったのか…」東京や横浜から祖父は身寄りのない遺骨を持ち帰った 関東大震災から100年 名古屋の寺でも追悼

9月1日は防災の日。その由来となり10万人以上が犠牲となった「関東大震災」から1日で100年となります。名古屋市でも当時の記憶や教訓を伝える取り組みが行われました。

1923年の9月1日、マグニチュード7.9の大地震とその後に起きた火災などで、死者・行方不明者10万5000人を数えた関東大震災。

午前11時58分。名古屋・千種区の日泰寺には、関東大震災の犠牲者を追悼する供養堂があり、地震発生と同じ時間に参拝客らが犠牲者に祈りを捧げました。

(参拝客)
「一瞬にして何もかもなくなる。それだけは怖い」

供養堂を管理する小林清さん。

小林さんの祖父・藤吉さんは震災の後、甚大な被害を受けた東京や横浜を訪れ、身寄りのない遺骨を供養するために持ち帰ったといいます。

(藤吉さんの孫・小林清さん)
「電車が(止まっていた中で)、どうやって東京まで行ったかはわかりませんが」

藤吉さんが組織した信徒らの集まりも年々少なくなっていますが、孫の清さんは今後も供養を続けたいと話しています。

(藤吉さんの孫・小林清さん)
「やってよかった。これでおしまいという気はないです」

一方、1日から100年前の記憶を伝える写真などが展示されている名古屋港。南海トラフ巨大地震が起きた想定で防災訓練が行われました。

総貨物取扱量21年連続日本一、自動車の輸出台数は44年連続日本一の「海の玄関口」が、最も恐れるのは津波です。

(名古屋港管理組合・清水敏幸危機管理課長)
「防潮壁の維持管理・扉の閉鎖訓練などを行って(津波から)防護している」

水面から約6メートルの高さの防潮壁は60年前に完成後、メンテナンスが続けられていますが、担当者は「老朽化」に加え、有事の際に防潮扉を閉める指示がスムーズにできるかどうかが、大きな課題だと話していました。

また、岐阜県中津川市でも最大震度6弱の地震が発生した想定で、岐阜県警の訓練が行われました。関東大震災では約13万件の家屋が全壊。1日は倒壊した建物に取り残された人を救助する訓練などが行われました。

当時の「記憶」と日々の「訓練」が命を救うことに繋がります。

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