先日、元日本代表FW高原直泰が現役を引退すると表明した。欧州のシーズンの入れ替わりである春から夏にかけては多くの選手がキャリアの岐路に立つ。
今回は2023年に入ってから現役を引退する決断をした世界的なスター選手たちを特集しよう。
セオ・ウォルコット
年齢:34歳
所属したクラブ:サウサンプトン、アーセナル、エヴァートンなど
国籍:イングランド
10代でワールドカップに出場した天才スピードスターであるが、アーセナルでその才能は完全に開花することがなかった。長い間アーセン・ヴェンゲルの下でプレーしたものの、かつて期待されたほどの場所にたどり着くことはできず。
2018年1月にエヴァートンへと移籍し、それからサウサンプトンへ復帰。それから2シーズンをプレーしたが今夏契約満了で退団し、それからスパイクを脱ぐことを決断した。
ジャンルイージ・ブッフォン
年齢:45歳
所属したクラブ:パルマ、ユヴェントス、PSGなど
国籍:イタリア
かつてイタリア代表で長く守護神を務めたジャンルイージ・ブッフォン。キャリアの終盤は自身が育ったパルマへと戻り、クラブをセリエAに復帰させることを目指して戦った。
しかしながら昨季の結果でパルマは1部へ昇格することができず、ブッフォンは熟考の末にこの夏でキャリアを終えることを決断。そしてイタリア代表チームの団長として後輩を支える立場になった。
メスト・エジル
年齢:34歳
所属したクラブ:ヴェルダー・ブレーメン、レアル・マドリー、アーセナルなど
国籍:ドイツ
2010年代で最も優れたファンタジスタの一人と言えるメスト・エジル。その左足から繰り出される精密なキック、その誰もを驚かせるようなアイデアで、数多くのアシストを記録した。
その天才性はいつだって損なわれることはなかったものの、キャリアの最後は寂しいものだった。エルドアン大統領との写真でドイツでは大きな批判を受け、アーセナルでは高額な給与がネックとなって追われるように退団することになり、自身がファンだったフェネルバフチェに加入も活躍できず。今年34歳でキャリアを終えることになった。
ギャレス・ベイル
年齢:34歳
所属したクラブ:サウサンプトン、トッテナム、レアル・マドリーなど
国籍:ウェールズ
昨年末のワールドカップでウェールズ代表の一員として戦い、それを最後にキャリアを終えたギャレス・ベイル。スパイクを脱いだ後の彼はアメリカに住んで愛するゴルフを存分にプレーしており、生き生きしたライフスタイルを楽しんでいるようだ。
絶頂期には彼より優れた選手はいなかったが、レアル・マドリーでの晩年は怪我によって欠場が続き、まるで疫病神のように批判を受けた。追われるようにスペインを去り、アメリカでのプレーとワールドカップ出場を置き土産にキャリアを終えている。
ボヤン・クルキッチ
年齢:33歳
所属したクラブ:バルセロナ、ミラン、アヤックス、ヴィッセル神戸など
国籍:スペイン
バルセロナのユースでは記録破りのプレーを見せ、リオネル・メッシを超える存在になると期待されたボヤン・クルキッチ。その大きすぎる評価に応えることは出来なかったものの、選手としては十分に楽しいキャリアを積んだ。
ローマ、ミラン、アヤックス、ストーク・シティでファンに愛され、アメリカや日本でもプレーした。もし彼がNEXTメッシの看板を背負うことがなければ、もっと気楽に伸び伸びと成長できたはずだ。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
年齢:40歳
所属したクラブ:ユヴェントス、インテル、ミラン、バルセロナ、PSG、マンチェスター・ユナイテッドなど
国籍:スウェーデン
自らを「ベンジャミン・バトン」(80歳で生まれ、時とともに若返る人物)と称していたイブラヒモヴィッチも、膝の怪我には敵わなかった。満身創痍の状況でミランをスクデットに導いたが、その代償は大きかったといえる。
伝説的なゴールスコアラーは昨季の試合にほとんど出場することができず、感動的なお別れのスピーチをサンシーロに残してスパイクを脱いだ。
セスク・ファブレガス
年齢:36歳
所属したクラブ:アーセナル、バルセロナ、チェルシー、モナコなど
国籍:スペイン
10代でアーセナルのキャプテンを務めた早熟の天才セスク・ファブレガス。それから少年時代の夢を追いかけてバルセロナへと戻ったもののレギュラーを奪うことができず、チェルシーで再びプレミアリーグを制覇した。
その後はモナコ、そしてイタリア2部のコモでプレーしていたが、今夏契約を1年残して現役を引退する意向を表明した。すでに2018年ワールドカップでは現役選手ながら解説者としても高い評価を受けたことがあり、セカンドキャリアが期待されている。
ルーカス・レイヴァ
年齢:36歳
所属したクラブ:リヴァプール、ラツィオなど
国籍:ブラジル
リヴァプールとラツィオで黒子として長く活躍した愛すべきミッドフィルダーは、悲劇的なキャリアの終わり方を経験することになった。イタリアを離れて母国ブラジルで夢を追いかけていたが、その最中に心臓の問題が発覚した。
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トップレベルでのプレーが可能なコンディションを維持していたものの、この病気によってプレーを続けることは命に関わる状況であると判明し、彼はスパイクを脱ぐことを決意した。「大きな力によってこの時が来たんだ。振り返れば自分のキャリアには感謝しかない」と彼らしいコメントを残して。