【熱海土石流】“警戒区域”が解除され初の月命日…新たな課題も(静岡県)

28人が犠牲となった静岡・熱海市の土石流災害は、9月3日で発生から2年2か月となりました。9月1日に「警戒区域」が解除されましたが、ふるさとに戻れる被災者はわずかで、新たな不安を訴える人も出ています。

9月1日、熱海市は、原則立ち入り禁止としていた伊豆山地区の「警戒区域」を解除しました。そして4日 午後には、川勝知事が伊豆山地区を訪れ、復旧状況を視察しました。知事は、行政代執行により、土砂を撤去した盛り土があった土石流の起点を視察したほか、国が整備した砂防ダム、警戒区域が解除になった伊豆山の岸谷地区を見てまわりました。

(川勝知事)

「警戒区域が解除されたので、これから被災者の生活復興に全力を投じていきたい」

3日、発生から2年2か月となった被災地。警戒区域が解除されてから初めての月命日です。最初に通報があった午前10時半ごろには、遺族や被災者らが自宅があった場所で、手を合わせました。

(太田 かおりさん)

「やっとみんな、自分の一番黙とうしたい所で手を合わせられるようになり、本当に良かった」「うちは遺族ではないが、それでもやっぱり知り合いの方を思い浮かべると、近くで手を合わせられるのは『解除されたんだ』『やっとそばまで来られる』と思った。ただ景色が何も変わっていなくて、むなしさを感じながら手を合わせました」

土石流で妻を亡くした田中公一さんです。娘夫婦、孫とともに自宅のあった場所を訪れました。この日に合わせ、焼香台と献花台を作りました。

田中さんは被災前の自宅の様子を明かしてくれました。

(田中 公一さん)

「ここに俺のベッドがあった、それで窓がここに2つ、多分、あいつ、ここにいたんじゃないかな。それでこうやって立って見てた」

当時、田中さんは近所の人の安否確認をしようと外に出ていました。

( 田中 公一さん)

「つぶされた隙間から見えたのが、このモミジ、だから同級生の所に『モミジが見える所にいる』と送っている、最後の最後の地はここだと思う」

田中さんは、伊豆山地区のほかの場所に新しい家を建て、9月中にも引っ越す予定です。

( 田中 公一さん)

「やっとここまで来られるようになったな、今月中に新しい家に避難住宅から(伊豆山へ)戻ってくる予定。ここから少しずつまた(復興が)進んでいくのではないかな、まぁここもあいつが好きだった所だから、ちょっと見られるように」

一方、発生から2年2か月となったこの日に、伊豆山での生活を再開させた人がいます。小磯和夫さんです。避難先から、トラックに積まれたて来た荷物を自宅に運び入れていました。

(小磯 和夫さん)

「長い長い2年間でした、今後、昔通りゆっくり家族5人でここで住めればいい、今まで住んでいた所ですから、今度はゆっくり寝られると思います」

庭の片付けをするのは、髙橋昇さん。警戒区域が解除され、自宅を自由に行き来できるのは、良かったと言いますが、困っていることもあるようです。

(髙橋 昇さん)

「物見遊山の車が3台、長野県、千葉県、もう一つは分からなかった、2年2か月、散々苦しんだ、見たい気持ちはわかるけど、地元に住んでいる人の気持ちになって遠慮してもらいたい」

警戒区域だった場所には所々に、看板が設置されていますが、見えづらく、髙橋さんは県道からの入口など、もっと分かりやすい場所に設置すべきだと市に訴えています。9月1日に警戒区域は解除となりましたが、ライフラインの復旧などが進んでおらず、9月中に伊豆山に戻る意向を示しているのは、7世帯13人にとどまっています。帰る被災者、帰れない被災者、ともに、防犯面での不安を訴える声が多く聞かれました。

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