「原爆に人生を狂わせられた」過酷な戦後を生き抜いた被爆者が証言

東京で開かれた世界平和を願う行事で、広島の被爆者が戦後のつらい生活を語りました。

東京都練馬区で3日間開催された平和展は、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める市民らが企画しました。今年で3回目です。

会場では、原爆被害を説明するパネルや基町高校の生徒が描いた原爆の絵が展示されたほか、被爆者が証言するプログラムもありました。

綿平敬三さん(79)、は1歳8か月のときに爆心地から約2キロの広島駅付近で母親とともに被爆。爆心地からおよそ800メートルの自宅にいた父親は、見つかりませんでした。戦後、母親と離れて親戚に身を寄せて暮らした子ども時代など、つらい体験を語りました。

綿平敬三さん
「あるときは弁当を作ってもらえない。何も持たないで小学校に行った。学校のそばにある山に入り込んで果樹を口にしながら」

綿平さんは証言者が少なくなる中、原爆によって被爆者が人生を狂わされたことを伝えていきたいとしています。

綿平敬三さん
「どういう人生を歩んだのか、どう生活を立ち直せたのか、社会との関わりはどうしてきたのか、ここですよね」

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