「僕が受けた屈辱」古巣ユベントスを告訴するボヌッチ、クラブから受けた仕打ちを明かす「夏に全てが変わった」

[写真:Getty Images]

古巣のユベントスを訴えることにしたイタリア代表DFレオナルド・ボヌッチが、クラブへの不満を訴えた。

インテルの下部組織で育ったボヌッチは、インテルやトレヴィーゾ、ピサ、ジェノア、バーリでプレー。2010年7月にユベントスへ完全移籍した。

2017年7月から1シーズンはミランでプレーも、すぐにユベントスへと復帰。守備の要として、セリエA6連覇を果たすなど、17個のタイトルを獲得していた。

公式戦502試合で37ゴール10アシストを記録していた中、9月1日にウニオン・ベルリンへと完全移籍。初の国外挑戦となった中、古巣の対応に不満を持ち告訴に踏み切ることにした。

ボヌッチはイタリア『Sportmediaset』でのインタビューに応じ、自信がユベントスから最後に受けた仕打ちについて言及。功労者への対応とは思えないことを告白した。

「大変な苦しみを経て、僕はユベントスに向かう大義の道を歩むことを決意した。クラブと監督が言った虚偽の言葉を読んだり聞いたりしてきた」

「10月に僕をユベントスから除外する将来のプロジェクトについて知らされたというのは誤りだ。実際、契約更新をする可能性があったのは、まさに10月だった。クラブがその重要性を理解していたので、僕たちは一緒に前進した」

「僕をロッカールームに連れて行くためだ。その後、僕はシーズン終了後に別れるということが、2月に僕とクラブによって繰り返されるという監督の言葉を聞いた。それも真実ではない。監督は僕に電話をしただけだ」

「3月の末に彼のオフィスで、ヨーロッパリーグのフライブルク戦の前に話した。彼の考えでは、サッカーを辞めることで、コーチとしてのキャリアを予期するのが適切だと僕に伝えた。僕は意見を尊重するけど、2024年のユーロまでは辞めたくないと伝えた」

「この会談後、ミランとの最後のホーム戦の後、5月末までは誰とも話していない。クラブと面会した際に、今シーズンはガッティ、ブレーメル、ダニーロ、そして次世代の若手の選手の後でスタートし、ディフェンスの5番手か6番手の選択肢となり、他の選手のお手本になると言われた」

「問題を起こしたいとは思わなかったので受け入れた。最終的には昨シーズンのようになるだろうとも思っていた」

「それから夏に全てが変わった。7月13日まで連絡がなかった。何かの匂いを感じ取った。新聞で読んだだけ。正確には、ジュントリとマナが家に来て僕に告げてきた。もうユベントスの一員では無くなり、ピッチ上での僕の存在がチームの成長を妨げることになるだろうと」

「これは、ビアンコネロで500試合以上を戦った後に僕が受けた屈辱だった。これは僕が聞いた話だ」

「チームの外から、この問題に取り組むこととなった。なぜなら、僕の権利には、テクニカルな選択に関係なく、チームと一緒にトレーニングし、肉体的にも次のシーズンに臨むことができる立場に置かなければならないと規定されていた」

「でも、それは僕には認められず、もうチームと一緒にトレーニングすることはなかった。全てが空虚となり、屈辱を感じ、最も好きなことができなくなった」

一度は不遇を味わうことを受け入れながらも、その後にさらにチームの態度が急変したと明かしたボヌッチ。クラブを訴えたのは、金銭が目的ではないと主張する。

「お金の問題じゃない。もし、訴訟に勝ったならば、僕は全額を慈善団体に寄付するつもりだ。さらに、僕は顧問を務めているAIC(サッカー選手協会)にとって、この状況は重大な問題になってもらいたいと思っている」

「なぜなら、僕よりも力の弱い人々、選手らが毎年このような状況に陥っているからだ。そして、プレーを続けるために、一切の妥協はない」

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