雲仙・普賢岳噴火災害 教訓を未来へ 旧校舎焼失32年で集会 南島原・大野木場小

「生きていたんだね」を歌う児童=南島原市、大野木場小

 雲仙・普賢岳噴火の大火砕流で旧校舎が焼失して32年となる長崎県南島原市深江町の市立大野木場小(山外誉校長、83人)で15日、災害の教訓を継承する集会「メモリアルデー」があり、児童が記憶を伝え続ける決意を新たにした。
 旧校舎は1991年9月15日の大火砕流で、骨組みを残して焼失。現在は災害遺構として保存されている。同集会は98年から毎年、保護者や住民を招いて9月15日前後に開いている。
 5年生16人は、3年時から雲仙岳災害記念館(島原市)や報道関係者らが命を落とした山麓の撮影ポイント「定点」(同)、旧校舎(深江町)などでフィールドワーク。火砕流や溶岩ドーム、土石流の発生の仕組み、被害状況など調査の成果を発表した。
 語り部ボランティアで元小学校教諭の瀬川百合さん(66)=南島原市深江町在住=が「私たちにできること」と題して講話。噴火災害の惨状や仮設住宅での集団生活の様子をスライドで紹介し「災害はいつ、どこで起きるか分からない。身を守る方法を日頃から考え、備えておくことが大事」と呼びかけた。
 最後に、火砕流で焼けながらもたくましく再生した校庭のイチョウの木を歌った第二校歌「生きていたんだね」を児童全員で合唱した。

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