日本代表の球技を見て感じたユニホームの不思議/六川亨の日本サッカーの歩み

[写真:Getty Images]

アフリカにカーボベルデという国があることを知ったのは、今月上旬に日本で開催された男子バスケットボールのワールドカップだった。ちょっと新鮮な発見だった。日本はカーボベルデに80対71と競り勝ち、76年モントリオール五輪以来48年ぶりに五輪の出場権を獲得した。そして9日からはフランスでラグビーのワールドカップが開幕。日本は初戦でチリを圧倒したものの、イングランドには善戦及ばす今大会初黒星を喫した。さらに先週末からはパリ五輪予選を兼ねたバレーボールのワールドカップもスタートし、女子代表はペルーを一蹴するなど9月は“球技”の日本代表が大活躍である(もちろんサッカーも欧州遠征で2連勝と絶好調だった)。

そんな他競技の試合を見て、昔から疑問に思っていたことがある。ラグビーで対戦したチリは、赤いジャージに青のパンツと、伝統のユニホームだ。あの取り合わせを見ると、ついイバン・サモラーノを思い出してしまった。女子バレーボールでは、控えの選手が白地に赤タスキという、これもペルー伝統のユニホームを着ていた。

今年6月のキリンチャレンジカップで対戦した際のペルーは、オールレッドのユニホームだったが、やはりペルーといえば赤タスキだろう。残念ながらW杯は82年スペイン大会を最後に40年あまりも遠ざかり、前回カタール大会もオーストラリアとのプレーオフでPK戦の末に涙を飲んだ。

この南米2チームに限らず、ユニホームのカラーは基本的に国旗をベースに、サッカーだけでなく他の競技のユニホームも同じであることが多い。ところが日本は、競技によってユニホームのカラーも組み合わせばてんでバラバラだ。サッカーは“サムライブルー”の名の通り青がベースだし、ラグビーは横縞のラガーシャツになるのは当然として、ピンクと白の組み合わせで“桜のジャージ”と名称が変わる。日本の国旗に近いのはバレーボールのユニホームではないだろうか。

では、サッカー日本代表のユニホームがなぜブルーになったのか? 1992~94年の広島アジアカップからいわゆる“ドーハの悲劇”の時代、日本代表のユニホームは右肩と正面左側に波のような模様が入っていた。当時、JFA(日本サッカー協会)の広報に、「なぜ日本代表のユニホームはブルーが基調なのか」と質問した。すると、「確かなことはわかりませんが」と断った上で、「日本は四方八方を海に囲まれているからブルーになったと聞いています」と続けた。これらも“都市伝説”の類いかもしれない。

近年、サッカージャーナリストの後藤健生さんが、日本代表が編成された1930年代当時は東京帝国大学(現東京大学)の選手が多く、東京帝国大学のライトブルーのユニホームがそのまま日本代表のユニホームとして採用されたのではないかと推察した。実際、1936年のベルリン五輪1回戦で、優勝候補のスウェーデンに3-2の逆転勝利を収めた試合のユニホームが保存されており、こちらは襟と袖が白で、それ以外はライトブルーという組み合わせだ。

そして88年に横山謙三監督率いる日本代表が、国旗とおなじ赤を基調としてユニホームに変更したことがある。しかし赤のユニホームといえば、すでに韓国と中国が長年採用しているし、タイなど東南アジアも赤をホームカラーにしているチームが数多くある。このためオフトジャパンになって再び青を基調としたユニホームで今日に至っている。そして日本の球技団体が同じユニホームでプレーすることは、未来永劫ないだろう。


【文・六川亨】

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