師の教え胸に 剣道「範士八段」取得の灰谷さん 二足のわらじで後進指導

稽古をつける灰谷さん=諫早市武道館

 凜(りん)とした空気に包まれた道場に、少年剣士たちのかけ声と竹刀のぶつかる音が響き渡る。諫早市武道館(東小路町)で週4日開かれている「亀舟館」の稽古。「声で斬るんだ。いいな」-。師範、灰谷達明さん(72)=小船越町=の声が気迫に満ちる。今年5月、取得が極めて難しい「範士八段」になった剣道家だ。
 剣道最高段位の八段合格率は0.6%(昨年度実績)という狭き門。「範士」はその八段の中でも、一定の条件を満たした剣道家だけが全日本剣道連盟の審査会に推薦され、指導者としての実績や品格なども含めた厳しい審査で認められて初めて段位とは別に与えられる称号だ。同連盟などによると現在、全国に八段取得者は約780人と限られるが、範士八段はさらに少ない約170人に絞られ、長崎県内には3人しかいない。
 五島市出身。ラジオドラマにもなった漫画「赤胴鈴之助」の影響でチャンバラ遊びに明け暮れていた小学4年生の時、近所の先輩に「チャンバラとけんかが強くなるぞ」と誘われ、島内の道場「西雄館」の門をくぐった。創設者で、生涯の師と仰ぐ馬場武雄さん=故人=との出会いだった。学生時代に相撲で全国大会に出場した亡き父は、剣道は軟弱だとして「相撲か柔道をしろ」といい顔をしなかったが、厳格な父に初めてあらがった。
 馬場さんはさして大きい体ではなく、年齢も入門当時には既に還暦に近かったが、その強さは「鬼神のごとし」。元気盛りの少年剣士たちを同時にかからせながら、息一つ乱さなかった。歴史上の人物を引き合いに剣の道は人の道であることを説き、「もののあわれを感じ、風流で優雅さがあり、思いやりのある人間たれ」を道場訓とした。稽古は厳しかったが、道場は心躍らす魅力的な場所だった。
 小学校時代は入賞とは無縁だったが、中学生になると体格にも恵まれめきめきと腕を上げていった。県立五島高から日大に進学。卒業後は長崎日大高で教壇に立ち、顧問として創部間もない剣道部を有力校に育てた。
 忘れられない試合がある。社会人になって間もなかった1975年の第17回全国教職員剣道大会(全日本学校剣道連盟主催)。都道府県ごとにチーム編成した団体戦に選手として出場し、本県は見事優勝を果たした。試合のテレビ中継を古里の実家で見ていた父が喜んでいたと、母から電話で知らされた。「あまり人を褒めることがなかった父が、『あいつもコツコツやっていたんだな』と少しは認めてくれたのかなと思い、うれしかった」
 剣道の修業に重要な事柄を表した「一眼、二足、三胆(たん)、四力」という言葉がある。剣道で最も大事なのは相手が何を考え、どう動こうとしているのかを見抜く大局観だ。次に足さばき、そして冷静沈着な胆力。技を発揮する体力は最後に位置付けられる。「肉体は年齢とともに衰えても、長年の修業に裏打ちされた眼力や足さばき、胆力は老いることがない。剣道は終わることがない生涯スポーツ」だと言う。
 昨年6月に県剣道連盟会長に、今年6月には全日本剣道連盟理事に就いた。九州ガスホールディングス(諫早市)取締役との二足のわらじで、後進の指導・育成に当たる日々だ。
 剣道を学ぶ子どもたちに伝えたいことは、師が理念とした「不老剣」「破邪剣」の精神。「不老剣」とは「剣道の追求に年齢は関係ない」という教え、「破邪剣」とは「剣は自分の弱い心、邪悪な考えを切り捨てるためで、相手をたたきのめすものではない」という戒めだ。「範士八段になってもクリアしなければならない課題はたくさんある。自らを高め、自分の剣道を究めたい」。同志、教え子らと交わりながら、今日もまた、己と向き合う。


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