1961(昭和36)年10月2日、日本一の出炭量を誇った筑豊炭田周辺にはいくつものボタ山があった。石炭に混在する燃えない石ころの捨て場が大きな山となった。エネルギー革命によって閉山が相次ぐとボタ山も次第に消えたが、残されたものは長い年月を経て緑に覆われ、自然の山と変わらない姿を残している。
<あのころ>筑豊のボタ山 閉山で次第に姿消す
- Published
- 2023/10/02 07:30 (JST)
- Updated
- 2023/10/02 07:47 (JST)
1961(昭和36)年10月2日、日本一の出炭量を誇った筑豊炭田周辺にはいくつものボタ山があった。石炭に混在する燃えない石ころの捨て場が大きな山となった。エネルギー革命によって閉山が相次ぐとボタ山も次第に消えたが、残されたものは長い年月を経て緑に覆われ、自然の山と変わらない姿を残している。
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