五島・奈留島で「洗礼式」51年ぶり復元 潜伏キリシタンの子孫ら 文献、映像などを基に再現

51年ぶりに復元した洗礼式で、子の額に聖水を注ぐ水方の柿森さん(左)=五島市奈留町(禁教期のキリシタン研究会、桜美林大提供)

 長崎県五島市奈留島で、潜伏キリシタンの子孫らが、途絶えていた洗礼式(お授け)を51年ぶりに行った。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録5周年に合わせたプロジェクトの一環で、式の様子を動画で記録。関係者は「禁教期に信仰を継承してきた根幹となる部分を復元し、未来に残す意義は大きい」としている。
 プロジェクトは「禁教期のキリシタン研究会」(髙祖敏明会長)などが実施。同会世話人で潜伏キリシタンの子孫の柿森和年さん(77)=奈留町=が、これまで進めてきた子孫らへの聞き取りや、収集した文献、映像などの記録を基に忠実に再現した。桜美林大の田淵俊彦教授が撮影で協力し、動画を残した。
 8月上旬、同町の集会所で、柿森さんのめいの子で千葉県に住む内山丈輔ちゃん(1)に洗礼を授けた。柿森さんら子孫の3人が、洗礼を授ける「水方(みずかた)」、暦を作る「帳方(ちょうかた)」、補佐役の「宿老(しゅくろう)」の三役を担当。儀式で父親を意味する「抱き親」を奈留中1年の岩村晴陽さん(13)が務めた。
 パンとぶどう酒の代わりに刺し身とごはん、酒のお膳を用意。水方の柿森さんがオラショ(祈り)を唱え、丈輔ちゃんの額に3回聖水をかけるなどして約1時間の儀式を終了。三役が古井戸から聖水をくむ場面なども再現した。

51年前に奈留島で行われた洗礼式=故結城了悟神父撮影(日本二十六聖人記念館提供)

 柿森さんらによると、1972年8月に奈留島で行われた洗礼式を、故結城了悟神父が写真に収めており、これが最後だった。今回三役がそろい同島で半世紀ぶりに復元されたという。
 奈留島は、キリスト教信仰が禁じられていた江戸時代の1800年前後に、長崎市外海地区から潜伏キリシタンが海を渡り、移住。明治政府が73年に禁教令を解いた後も、カトリックに復帰しない「かくれキリシタン」となって独自の信仰形態を続け、洗礼式などの儀式を行ってきた。
 1960年ごろは人口9千人のうち、7割弱が潜伏キリシタンの子孫だったが、過疎化による後継者不足で行事が途絶えたという。
 洗礼式に同行した日本二十六聖人記念館のデ・ルカ・レンゾ副館長は「奈留島の子孫が地元で再現したことに意義があった。これを機に潜伏キリシタン研究がさらに深まる」と期待。監修した髙祖会長は「式は、潜伏時代の信仰継承のエビデンス(根拠)を示すもの。世界遺産登録につながった重要な部分で、記録に残すことができたのは意義深い」と話した。
 記録動画は11月3、4日に奈留、福江両島で開く「イナッショ祭り」で、約10分のダイジェスト版を流す。柿森さんは「洗礼式を生で見た世代に聞き取りを進めてきたため、復元には今しかなかった。潜伏キリシタン文化は(教会などの)建造物だけでなく、信仰を代々受け継いできた精神性を伝えることも大事」と話した。

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